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人間同士の慰め・励まし・力づけ ~ 奥に働く守護霊の大愛

慰めと励ましの奥にある愛を

日常生活における人間関係のなかで、失意に沈む人を慰めたり、励ましたりする場面があります。それは、夫婦間や子どもであったり、親せきであったり、友人であったり、仕事上の知人であったり等、様々であります。

そうしたときに、失意にある人を慰めたり、励ましたりすることは、ごく自然なやり取りで、今までの常識に立って考えれば、何もおかしくない想いのやり取りなのでありますが、真理の観点から観れば、実はそれだけでは足りないのだということに、気づく場面がありました。

最近の生活のなかで、そうした人を励ます場面があり、どのように接するかを判断する場面で、第一直観として現れてきたことは、「慰めるだけで事足るならば、動物たちにもできる」という、大変に厳しい光の響きでした。

それで、何が足りないのか、何をすればよいのかを問うと、「失意ある人と相対したときには、魂に力をつけて差しあげること。それが一番大事なことだ」というのであります。

さらに、
「相手の傷ついた想い、痛んだ体等を、その場においてだけ慰め、励ますのでは、天意から観れば、たいした行為ではない。それよりももっと根本的なところで、相手の生命が最終的に生かされる、天命が果たされる、真実のひと霊止として、この世の寿命をまっとうして、あの世での働きも苦しみ少なくて済むような、そういう行為をなす深い愛のこころが大事なのだ」
ということば(言葉以前の響き)が伝わってきて、背筋が正される想いがしたのでした。

そう言われてみて、これまでの自分の来し方を振り返ってみると、「表面的な愛の言動に終始していたなぁ」との反省を禁じ得ませんでした。

それほどの深い愛のこころがなければ、深入りせずに、表面感情を撫でて終わりにするか、逆に、同情心から深入りしすぎて、相手のカルマ想念の展開に巻き込まれて、自分も似通った苦しみを味わうミイラ取りがミイラになることになりかねません。

相手のこの世とあの世の未来までもを観とおした深い愛のこころは、自分自身が神性そのものの意識で光輝いていることですので、自分を生かし、相手も生かす、最善の愛の表し方なのであります。

ただ単なる同情心などは、自己にも相手にもプラスにならない、傷のなめ合いのようなものです。それが、前述の「動物たちにもできる」ということなのだと思いました。

今回のことで、人間が人間であるためには、同情心、慰め、励まし等のよき想念と思わしき浅い想いの動きだけではなく、その奥にある、自他の天命を生かし、まっとうさせるだけの《深い愛の光》を響き出す必要があることを学んだのでした。

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人間同士の交流の奥に働く守護霊の深い愛

ここまでの話には書いてはおりませんが、もちろん、相手の失意の姿の奥に、その方の守護霊の深い愛の導きがあることも忘れてはいけません。

根本的なところでは、人間のどのような状態も、守護霊の導きの顕れであるからであります。

たとえその肉体人間の有り様が、守護霊の導きに逆らって、勝手に苦しんでいるような状況であったとしても、どんな放蕩息子でも親の子に対する気持ちは変わらないと同じように、守護霊は、決して見放すことなく、人間の親以上に深い愛のこころで、人間を内部から、背後から、包み、抱擁し、最善の道へと導いてくださっているのであります。

そのような守護霊さまの深い愛のおこころを感じるたびに、目頭が熱くならざるを得ません。いつ振り向いてくれるかもわからない肉体人間のわがまま、自分勝手な想念言動を、深い深い、深いという言葉を幾つつけても足りないくらいに深い愛のこころで包みこんで、導いてくださっている守護霊の愛がなければ、この世はとっくの昔に滅亡していたことでありましょう。

しかし、そうはならないということは、すでに神界にある未来図面に書かれておりますので、私たちは安心して、地球世界に、明るく輝いた未来を描き出すことに専念してゆきたいと思います。