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アセンションとは、いのちを生かすこと

本日は、『アセンションとは、《いのち》を生かすことである』という真理について、考察してみたいと思います。

この考察は、大変に意義があるものであります。

短い記事ではありますが、この文章を読み終えて腑に落ちた場合には、ご自身にしか歩めないアセンションへの道のりがより明確になって、あなたご自身の意識進化が格段に進むでありましょう。

明確に押さえておきたいアセンションの前提ポイント

その前提として、まずはじめに、明確に押さえておきたいポイントがあります。

それは、人間の本心・本体が、“肉体に表れた表面想念(顕在意識及び潜在意識)及び、この物質的現れの肉体身”などではなく、神霊心・神霊体にあるということであります。

このことを、言葉を換えて申せば、《人間の本質というものは、形ある存在ではなく、形なき光、生命のエネルギーそのものである》ということで、物質体として現れようと想えば、物質体として現れ、形ある姿を現す必要がなければ、宇宙に満ち満ちた《いのちの光》そのものであるというのが、本然の在り方なのであります。

生きているいのち、生きていないいのち

上記の前提ポイントを、シッカリと意識の地肉にしたうえで、本題に入りましょう。

この記事のタイトルは、『アセンションとは、いのちを生かすこと』です。

ここで明らかにしてゆきたいことは、人間が生きている状態を指して、「いのちが生きている(生かされている)」「いのちが生きていない(生かされていない)」というときの「生きている(生かされている)」「生きていない(生かされていない)」とは、どういう意味かということです。

それがわかれば、タイトルの意味が明快に腑に落ちて、よりよくいのちを生かす生き方をしているあなた自身を見つけることができるでありましょう。

「いのちが生きている生かされている」とは、肉体心身を動かす生命エネルギーが、なにものにも遮られずに、真っすぐに肉体心身に伝わって来て、精神活動と肉体活動における新陳代謝が、スムーズに行われている状態であります。

その逆に、「いのちが生きていない生かされていない」とは、生命の本質を忘れ果てた想いの波動で、肉体心身への生命エネルギーの健常な流入が、遮られ、妨げられている状態をいうのであります。

このポイントをシッカリ押さえておかないと、「いのちを生かす」ということが、雲をつかむような漠然とした話になって、《いのちの光》を生かした生き方をしたくとも、その方法がまったく腑に落ちて来ないのであります。

逆の観点から申せば、第一のポイントで明示した人間の本心・本体をハッキリと押さえたうえで、いのちを生かすとはどういうことか、いのちを生かしていないとはどういうことかという内容を押さえておきさえすれば、アセンションのはじめの一歩は、自然に踏み出されてゆくものなのであります。

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いのちを活かすアセンション

アセンションした心身の状態、いのちを生かした生き方とは、物質界に現された心と体に、いのちの(すべ)き活用を成した(が成された)状態、生き方であります。

いのちを活かして生きれば、意識進化が自然と果たされ、心と体の次元上昇(アセンション)は、おのずと成されてゆくものなのであります。

一見すると、「そんなことわかっているよ」というような話ですが、地球上の人類が発している意識波動をくまなく観察してみますと、真の意味で心と体に《いのちの光》を顕して生きている人の数は、思いのほか少ないのであります。

それは、《人間の本心・本体はいのちの光そのものである(肉体性のものではない)》という真理が、顕在意識において、当然認識として自覚されていないからなのであります。

はじめの一歩から方向の違うほうへ歩みを進めてしまっていては、ほんとうに目指すべき目的地(アセンションした意識世界)へ到着するまでには、引き返して、そこから歩み始めてという、多大な時間のかかることになってしまうのであります。

そのような意味から観ても、このような基礎的認識を意識の血肉とする真理の染み込ませ、反復運動の繰り返しを行うことは、地球全体のアセンション、意識進化を達成するにあたって、大変に意義深いことなのであります。