真の平和とは

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平和を望みながら平和にならないのはなぜか

ほとんどの地球人が心の底から平和を望みながら過ごしていることは紛れもない事実です。

しかし実際は、みんなが平和を望んでいるのに、表面上の世界情勢のみを見れば、ほぼ全員の願いとは真逆の方向へと進みかねない状況にあるのはどうしてでしょうか。

それは私たち地球人の多くが、“平和”とは何か、その本質をはき違えて理解していたところに原因があります。

平和とは、一人一人の心の調和を基本にして成り立つ“良好な人間関係”が地球規模で広まり、想念言行されている状態であります。

またそれをベースにして、人と物、人とその他の生物、人と各種自然との関係もまた、調和を保って運行されている状態でもあります。

ですから、単に平和に暮らせる状況を望むのではなく、一人一人が平和に生きることを真剣に行じなければ意味がないのであります。

平和とは、与えられるものではなく、みずからが進んで積極的に創造するものです。

平和というのは、待っていてもやって来るものではありません。

私たち現代人は、平和の意味をシッカリと正しく認識する必要があります。

『平和に過ごせるということと、平和に生きるということは、根本的に違う』ということをです。

平和に過ごせる状況とは、表面上の安穏、小康状態、波が穏やかな日の海面のような状態であり、一時的、一過的な状況であります。

人の心が真に穏やかにならないかぎりは、嵐がなくなることがありません。

そのような一時的平和を求める心に真の平和がないことは、理性的に観ればどなたにも理解されると思います。

真の平和とは

真の平和を望むのならば、人はみずからが率先して平和な心を磨き保ち、その光を輝かせて生きなければなりません。

みずからがそれを実践しないでいながら、平和を望むことには無理があります。

真の平和が成立した状態とは、人類の心が真に平和な心になった状態をいうのであります。

地球に住む人々の心の平和が達成されなければ、地球世界が真実に平和な星になることはあり得ません。

自己の平和ならざる想いを放置し、平和とはかけ離れた想念言行を現していながら、なんの努力もなく平和に過ごせることだけを望むのは、虫がよすぎます。

たとえ自分以外の全員が平和な心の持ち主になったとしても、自分自身の心が平和にならないならば、その人だけは平和に過ごせることはないのです。

なぜならば、平和な心で生きていないからです。

ですから、一番大切なことは、まず自分自身が平和な心の持ち主となるべく、自他を許し、愛し、いたわり、癒やし、抱擁するといった慈しみの心で生きることであります。

何事にも乱されることのない平和な心の砦を、みずからの心に築くのです。

自分がそれを実行しないでいて、「祈っていさえすれば、なんとかなるさ」などという希望をいだくのも無謀な望みです。

みずからの心境がそのような境地にある場合には、そうした想いの動きが、いのちの光を押し隠したエゴのうごめきであることを知る必要があります。

心を平和に磨き上げ、その輝きを保つためには、そのように個我をかばうことなく、正しくみずからを導く必要があるのです。

そのような人が地上に増え、人類の多くを占める時、真の平和への道筋が誰の目にも明らかに見えてきて、アセンションを望まずに生きてきた人たちをも、道を誤ることなくアセンション(次元上昇)の大道に乗せることが出来るようになる時が来るのでありますから、今はまだ狭き門であるアセンションの小径こみちを、誰もが通りやすい大きな大道に拡大すべく、日々神性の想念言行に励んでゆきたいと思います。