いのちの光のサテライトセンターたちへ
きみたちは自分の存在をどういうふうに定義して見てる? そう聞かれてすぐに答えがパッと浮かぶ人は、ふだんから「自分は何者なんだろう?」って自己探求してる人だ。 たとえそれが、宇宙の真理に適ってても適ってなくてもね。 なんで「適ってなくてもいいのか?」って思う人は、今一度『いのちの深奥』を深く見つめてごらん。 そしたら、人間たちひとりひとりが、今この瞬間にどういう生き方をしてるとしても、どんな人も必ず『いのちの大元との一体化』の方向へ進んでゆくものだっていう『宇宙生命の摂理』が観じられてくるはずだよ。 いのち ...
神聖の存在として生きるきみへ
" 心の眼"を閉じて。 呼吸をユックリとして。 それを1分、2分、3分とつづけてゆくと、心が静寂の海に溶けるかのように広がってゆくでしょ。 そうしたら心の眼を開けてごらん。 きみは今、宇宙に広がる時空そのものだ。 きみのなかにすべてがある。 ほら、地球が見えるでしょ。 心の眼に備わった焦点距離可変機能(カメラのズーム機能のような機能)を使って、地上の人間たちを見てみよう。 きみが持つ神聖の眼(Divine Scope)は、肉眼のように表面だけしか見えないチャチな眼じゃない。 地球上に張り付いて生きてる"肉 ...
瞑想時の周波数で生きよう
すべての瞬間を瞑想するときの意識周波数で過ごしていると、心はより穏やかに落ち着いて、人生がより創造的な瞬間の連続になるね。 それは、肉体と精神が神聖の領域で働くように変化するからなんだけど、今日はそのことを量子力学の概念とからめて観てみよう。 「すべては粒であり、波である」っていう量子力学が示す命題は、人間の生き方そのものを映し出しているんだよ。 粒と波、この二つの性質は、肉体と精神にそのまま投影されているんだ。 肉体ってのは、一見すると固い粒の集合のように見えるでしょ。 でも、ミクロの世界へとその実体を ...
痛みは味方
痛みを敵視してはいけないよ。 なぜならそれは、正常な生存状態を維持するために、宇宙がぼくたちに与えてくださった補完機能だからだよ。 例えば、足をひねって足首を骨折したとして、痛みがなかったら骨折した事実に気がつけないでしょ。 それは、心の痛みもおんなじだ。 多くの地球人は、心に苦悩が生じたら苦悩そのものとして振る舞っちゃって、苦悩を手放そうとしないでしょ。 でも心に痛みを感じるってことは、肉体の痛みと同様に、いのちが心を清浄な意識状態に保ちつづけるために、「調整すべき不調和な状態があるよ」って、教えてくれ ...
他者依存症と助け合いの違い
きみの心は、「ひとに頼ることは恥ずかしいことだ」みたいな、浅はかな自律論に傾倒していないだろうね? そういう考えの大人は、子供時代には自立心が旺盛な手がかからない子として、周囲の大人に褒められていたかも知れない。 でも大人になると、そうはいかない。 なぜなら、子供時代には「助けて」って言わなくても、本当に困っていそうだったら、まわりの大人たちが手を回して助けてくれていた。 けれど、大人になったら、「ヘルプ」って言わなかったら、誰も手を貸してくれない。 結果、ムリして頑張って、心を壊してしまう人のなんと多い ...
起きている間の呼吸をユッタリとする方法
①「私は、光・真理・神聖・愛・感謝の波動を持った言葉を思い浮かべるときには、いつも深い呼吸をしている」という『意識の初期設定』を自らに施し、それを習慣化するための練習をする。 ②するとその後の人生は、光・真理・神聖・愛・感謝の言葉を思い浮かべれば思い浮かべるほど、自動的に深い呼吸をしている時間が長くなる。 ③そこまでゆけば、後はどれだけ長く、光・真理・神聖・愛・感謝の波動に浸りつづけていられるかを追究するのみ。 実際は、自らが進んで『ユッタリとした呼吸をしながら光・真理・神聖・愛・感謝の類の言葉を思い浮か ...
偽りの自分を手放す時代(とき)に
当り前な話だけれど、人から敬われるような人ってのは、自分自身を敬いながら過ごしているし、人から大切にされるような人も、人知れず自分を大切にしながら生きている。 そうした人々は、意識してそうしてる人もいるし、無意識的にそうしている人もいる。 でもどちらにしても、自分を大事にして生きていることに変わりはない。 それが判らない人だけが、他者との関わりのなかでコンプレックスを抱いて、居心地の悪さを感じてるんだ。 自分が他者から敬われてない、大切にされてないって感じてる人たちってのはね、ひとりの例外もなく、自分を許 ...