『事実思考』と『印象思考』
今日は、人間の思考の在り方について、少し掘り下げて考えてみよう。 神性に根ざした思考を『事実思考』と呼ぶとするでしょ。 そしたらそうじゃないほうの思考は、肉体こそが自分だと信じ込んだ『印象思考』と呼べるね。 後者は、主観の牢獄を自ら造り入り込んでしまってるところが特徴だ。 そのなかで感情想念主体の幻覚をつくり出し、そこに浸っている思考パターンだといえる。 そういう思考の仕方をするひとってのは、どこまで行っても事実をねじ曲げて見てしまってるんだ。 「自分はこう思う」とか『自分はどう感じる」ってとこで、すべて ...
俯瞰の視座に常住するために
印象ほど当てにならないものは無い。 だけど、地球の人たちは長い間の想念習慣から、一事が万事、印象の応酬で会話したり、すべてを片付けようとしているね。 「なんとなく」 この言葉ほど、心の目を曇らせるものはない。 また、「どうして?」って言葉も死語にする必要がある。 なんでかっていうと、「どうして?」っていう設問を投げかけられたひとは、「なんとなく」思い至った漠然とした記憶の印象を脳から引き出し、答えとして導き出そうとするからだよ。 印象の沼に浸って生きているということは、漠然とした主観でしかものごとを見れな ...
共感力と気付きのセンサー
ひとの話を聞いていろんな感想を思うでしょ。 「いいお話だったな」 「つまらない話だったな」 「この人、知識だけでしゃべってるな」 「この人はホンモノだ、ニセモノ」 「ちょっと身につまされるお話だったな」ってね。 でもね、そこでちょっと振り返って考えてみて。 他人の話を聞いて、「でもあれは、あくまでもあの方の考えや経験であって自分とは無関係だ」って無意識に思ってしまってて、いつまでも自分の身に行ない現わさないでいるとしたら、それはその話を聞く分だけ、時間を無駄遣いした行為だといえるんだよ。 大事なことは、い ...
いのちを完全燃焼しよう
ああでもない、こうでもない。 何は好きだ、何は嫌いだ。 何が正しい、何が正しくない。 それらの想いはみんな、いのちの光が完全燃焼してない状態で表われた心の動きだね。 即ちそれらは、くすぶった想いの動きであり、カルマ想念の波動だといえる。 そうした心の中にある想いのくすぶりを、そのままに放置してたらどうなると思う? 心が一酸化中毒になるでしょ。 それがこの世の中における地球人間たちの”苦悩の正体”なんだよ。 だから、いのちを完全燃焼させて生きるのが尊いんだ。 「案ずるよりも産むが易し」ってあるでしょ。 悩む ...
ホンモノの自分軸とは?
きみは、「あの人みたいに生きたい」と周りの人が思わずにいられないような、そんな自分育てをしているかい? でもそれは、周囲の目を気にして「自分は正しく生きているだろうか」と、オドオドした心境なんかじゃない。 何ごと・何ものにも左右されない、ホンモノの自分軸をもって生きることだ。 そんなふうに生きていれば、自然に生命本然の自分軸を生きられるんだ。 真の自分軸が心の中に確立されると、人は誰のどんな反応にも心が揺れ動かなくなるものでしょ。 他人の目を気にして、ありのままの自分を押し隠す必要もないね。 それは、"あ ...
諦めを見つめよう
心のなかを見つめてごらん。 いろんな自分が見えるでしょ。 そのなかで今日は、『諦め』の類の想いにスポットライトを当ててみよう。 自分自身に対する諦め。 他人に対する諦め。 社会に対する諦め。 境遇に対する諦め。 容姿に対する諦め。 いろんな諦めがあるね。 その一つ一つをジーッと見つめてごらん。 「どうだからしょうがない」 「こうだからしょうがない」 って、いろんな言い訳がその諦めの周りを、グルグル廻っているのが見えるね。 そうした言い訳には目もくれないで、鎮座している諦めの塊の さらにその奥のひびきを見つ ...
心に永遠の花を咲かせる時代に ~ 生命回帰初心者のきみへ
いのちのひとしずくをすくい上げよう きみは日々の生活の中で、「何か大切なものを忘れているような気がする」と感じたことはないかい? それは、「人類がほんとうは何ものなのか?」という、人間生命の根幹にかかわる“ほんとうの記憶”が、きみ自身の表面意識に現われ出ようとしてる証拠だよ。 地球の人たちはそれを忘れたまんまで、生まれ変わり死に変わりしながら何千年から何万年もの間、この世とあの世の低い階層天地を行ったり来たりして生きてきたもんだから、現代社会には、多くのストレスや課題が山積みになってるでしょ。 人類と呼ば ...