Voice of Cosmic Brothers

瞑想時の周波数で生きよう

すべての瞬間を瞑想するときの意識周波数で過ごしていると、心はより穏やかに落ち着いて、人生がより創造的な瞬間の連続になるね。

それは、肉体と精神が神聖の領域で働くように変化するからなんだけど、今日はそのことを量子力学の概念とからめて観てみよう。

「すべては粒であり、波である」っていう量子力学が示す命題は、人間の生き方そのものを映し出しているんだよ。

粒と波、この二つの性質は、肉体と精神にそのまま投影されているんだ。

肉体ってのは、一見すると固い粒の集合のように見えるでしょ。

でも、ミクロの世界へとその実体を見てゆくと、原子の内部は広大な隙間に満ちてて、むしろ空間の中にポツンポツンって、粒がところどころに存在してるような状態になってるんだよ。

だから、肉体は粒であるように見えながら、同時に空間と波動に支えられた存在なんだ。

精神ってのは逆に、一見すると波そのものに思えるでしょ。

感情や思考は目に見えず、肉体の頭では、ただ波のように存在してるって感じられるからね。

でも、そうやって塊ではないように思える精神波動も、こだわりや思い込み、決め付けや執着といった“把われの想い”が凝り固まって来ると、まるで流れる水がせき止められるように、波動の循環が滞る。

その滞りはやがて、エネルギーの塊となって、人体における不調や病気として物質化することさえあるんだ。

つまり、精神もまた粒のように固着することがあるってことだ。

けれども、この状態は決して絶望すべきことじゃあない。

意識の用い方を少し変えるだけで、凝り固まった想いは解きほぐされ、再びサラサラと流れる水のように、波動は本来の循環を取り戻して、それが肉体に波及する『再生』や『蘇生』を経験することが出来るからだ。

精神の解放が肉体にも波及して、肉体的にも健康と調和のなかで生きてゆけるってわけさ。

ここで大切になるのが「瞑想時の周波数」だ。

瞑想によって顕われる脳波の理想的な状態は、シータ波とガンマ波が同時に存在する状態だね。

シータ波ってのは、深いリラクゼーションと潜在意識への扉を開き、心を鎮め、波としての人類を大いなる調和へと繋ぐ基礎的波動でしょ。

一方でガンマ波は、高度な認知、洞察、そして何より「現実を創造するエネルギー」として欠かせない役割を果たしている。

静謐さと創造性、この両者が一体となったときに、人類は生命の源の静けさに根差しながら、同時に、外の世界に向けて力強く、新しい現実を編み出すことができる『創造活動の実体そのもの』として生きられるようになるんだ。

それこそが神聖の生き方なんだよ。

きみがもし瞑想時の波動で日常生活を過ごすなら、怒りや不安にとらわれたときには、その乱れをシータ波の静けさで消さしめて、ガンマ波の集中力で望む未来に変換してゆくことができる。

きみが喜びや愛を感じたときには、シータ波の包容力でさらにその波を深め、ガンマ波の創造力で広げてゆくことができる。

そのようにして、肉体の一挙手一投足を、「粒子」として動かしながら、同時に「波動」として響かせてゆく意識を持つんだ。

それこそが「瞑想時の周波数で生きる」生き方なんだよ。

人間は粒であり、同時に波でもある。

肉体は波動性と粒子性の両面を持ってるんだ。

精神も同じで、波でありながら固着すれば粒にもなる。

だからこそ、シータ波とガンマ波が同時に表われている「瞑想時の周波数」を日常の基盤にすることで、誰もが心身を健やかに保ちつつ、現実を創造する力を高め、社会全体へと『調和と変容の波』を広げてゆくことができるんだ。

だから、「日常生活の一挙手一投足を、瞑想時の周波数で生きよう」って決めてごらん。

そしたらきみの人生は、すべてを生み出す源であるシータ波の静寂性を持ちながら、ガンマ波による現実創造の能動性を同時に生かして生きることが出来るからね。

「粒子でありながら波動である」という自己認識を持った生き方は、人間の真実を顕現して生きるための、現実的かつ霊的な道しるべとなるだろう。

-Voice of Cosmic Brothers