(前回の続き) 命の運用と選択の自由 それに関連した話だけど、愛の気持ちのつもりで「○○さんがどうなりますように」って、自分の願望を祈り言葉のように思ってる人がいる。 にわかに受け入れられない人がいるかも知れないけど、そういうのは愛でも祈りでもなくて、自分の都合の押し付けなんだよ。 どうしてか分かる? それはね、さっきも言ったように、自分が想いを寄せるその人がどうなるのがいいかということは、その人の守護霊・守護神にしか決定権がないからだよ。 もちろんその肉体人間にも、肉体界においてどう生きるかの選択の自由 ...