命の運用と存在価値
この前のプーチンの話じゃないけど、ぼくたちが地球上の人々の心の動きを眺めていると、テレビニュースを見ながら「いっそのこと、コロッと逝ってくれないかな」なんて思ってる人が案外多いんだよ。
でもね、地球上に生きてる人間のなかで、必要ない人なんてどこにもいない。
ひとりひとり、すべての人に存在価値があるんだ。
人間の命、寿命を司ってるのは、ひとりひとりの守護神なんだけど、守護神が「もうこの子は肉体界に置いておくよりは、霊界(もしくは幽界)で修行させたほうが意識進化の進捗にとって好ましい」と思えば、さっきまで健康でピンピンしてた人が、あっけなく亡くなってしまうこともある。
その逆に周りに迷惑ばかりかけて、「あの人に生きてる価値なんてない」なんて周りから思われるような人でも、「肉体界に置いておくほうが魂の統合調和のためによい」と思われる場合には、他人からどう思われてたって長生きすることもある。
命をどう運用するかってのは、人間考えじゃあどうにもできないことなんだ。
違う例でいえば、近しい人が大病したとするでしょ。
そしたらきみは「嗚呼、早くよくなりますように」って思うでしょ。
それは今までの地球界の常識からすれば、極めて正常な判断で、当り前の『愛の心』の動きだといえる。
『顕在意識だけの愛』と『潜在意識の奥のいのちから溢れる愛』
だけど宇宙の真理から観れば、其れは一方的な願望に過ぎないんだ。
なぜかというと、その人の『魂』の立場に立ってみると、すぐによくなることが必ずしもその人の進化向上に望ましくない場合もあるからなんだよ。
極論的にいえば、長い眼で観たときにその人がどうなることがよいのかは、その人の守護霊心と守護神心が一番よくわかってるんだ。
例えばある一定期間"病気の状態"で苦しむことをとおして、想念習慣が軌道修正できて、二度と同じ誤った想念の運用をしなくなる場合がある。
そういうときにその人の守護霊守護神は、周囲の人の愛を分かっていながらも、ある一定期間肉体を病の状態に置くことがあるんだ。
ときにはその病気の状態のまま、霊界移行の時を迎えることがあるかも知れない。
でも病気のまま逝去することがあったって、それはその当人にとって必ずしも不幸な出来事だとはいえないんだよ。
なんでかわかる?
その人の本当の心は知ってるんだ。
自分が、魂の進化向上を果たすために肉体界に生まれてきたことをね。
その本当の心が曇ることなくその人のなかで働いてるのが守護霊心と守護神心なんだよ。
だから結論的にいうと、きみの望みがその人の魂の進化にとって望ましいことかそうでないかなんて、人間心ではわかんないんだから、他人の動向に対してとくに何かを思ったときには、「○○さんの天命が完うされますように。○○さんの守護霊さん、守護神さん、ありがとうございます。」って、その人のハイアーセルフ(守護霊守護神心)に応援の光を送るのがいいんだ。
(次回に続く)