Voice of Cosmic Brothers

Voice of Cosmic Brothers 573 いのちのマイホームへ帰ろう-4

(前回の続き)

心の迷子を卒業するための第二ステップ

さっき、心の迷子を卒業するための第一ステップは、起きてる間中、ユッタリとした呼吸をしつづけることだって話したでしょ。

その次の段階では、何もの何ごとにも把われない意識を当たり前当然認識にするために、すべてに「有り難うございます」と思え言えるようになるための練習をするんだ。

ぼくたちの話に耳を傾ける人たちは、一般的には善人と呼ばれる部類の人たちだから、大自然の恩恵や生きとし生けるものに対して「有り難いなあ」って思ったり、「有り難うございます」を言える人ばかりだ。

でもよーく観察してゆくと、人間関係のなかでの感謝があまり表現出来ていない。

好きとか嫌いとか、気が合うとか合わないとか、果てはそのときの気分次第で大切な人へ向かってさえも悪態をついてたりする。

「有り難うございます」って言うことに恥ずかしさを感じてる人も、「あの人には言えない」って抵抗を感じてる人も、そんな自己都合は脇に置いて、起きている間中、できるだけたくさんの「有り難うございます」を言う練習をしてごらん。

これも例のごとく三週間と期限を区切って、その間はどんなことにもどんな人にも「有り難いなあ」って思い、面と向かって「有り難うございます」ってハッキリ言葉にするんだ。

そうすれば、苦手な人も嫌いな人もいなくなるんだよ。

そうなったら、生きることの苦しみの七割は消えたようなもんだ。

多くの場合、生きるうえでの苦悩のなかで最大のものは人間関係の悩みだから、それがなくなったならどれだけ楽に生きれるようになるか、少し考えたらイメージできるでしょ。

『人に感じる想いが鏡に映った自分の心の姿』の事実について

きみが『この世』と呼んでいる世界は、前後左右上下、どこを見ても鏡しかない鏡張りの世界だって前に話したでしょ。

過去の常識に縛られて生きてる人は、その鏡に映った自分の心を姿を見て、相手の問題だと思い違いをしながら、いいだの悪いだの、好きだの嫌いだの言ってるんだよ。

ここで、『人に感じる想いが鏡に映った自分の心の姿』だってことについて補足しておこう。

それは、思い込みやこだわり、執着や決め付けの想いが疼いて反応したときは、『鏡に映った自分の心の姿』なんだってことだよ。

そうじゃないとき、例えば、何かを思ったけど気にしないでサラサラ流せるようなこと、感情が反応しないようなこと、すぐに忘れて引きずらないようなことは、ただの事実について想い見てる状態であって、心の姿とは関係ないってことなんだ。

これを知らないでなんでもかんでも、「ああ、鏡だ。自分なんだ」ってやろうとすると、逆にいくら自分を見つめても分からないで取り越し苦労して心が安まらなくなる。

だから簡単に、「感情が疼いた時は、その原因が自分にあるんだ」って思ってればいい。

そうして、自分が自分にしていること、自分が自分にされていることを観るんだ。

心の中に被害者しかいないことはないし、心の中に加害者しかいないなんてこともない。

両方の自分がセットになって存在してるんだ。

だから想いが疼くわけ。

この陰陽、プラスマイナスの自分意識のバランスが崩れていたから、他人に腹が立ったり、やり込められて落ち込んだり、恨んだり憎んだり、妬んだり羨んだりしてたんだよ。

この間、このことを数字で表現してみせたでしょ。

意識のバランスをニュートラルに保つことがいつも言う『俯瞰視する視野バードアイズビュー』なんだ。

そうすれば、心の中のプラスマイナス両方の未成仏想念の背中に、天使の羽が生えて天に還ってゆくんだよ。

それは、自分のなかの未成仏想念が成仏することを意味してるわけ。

どんどんそれを繰り返してゆくと、『いのち』ヘの有り難みがしみじみと湧いてきて、感謝一念の心境で一瞬一瞬を過ごせるようになる。

言い換えるなら、何よりも一番大切な自分自身を動かす力の源である『いのちへの感謝』が出来るようになるためには、鏡張りの世界でどんな人に対しても「有り難うございます」を言えるように練習するのがいいんだ。

それは表面的には他人に感謝してるようだけど、実際は『いのちの光』に感謝してることだからね。

(次回に続く)

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