(前回の続き)
とても大切なマインドセット
『今ここ』や『真実の今』という認識は、心の右手と左手を結んだときに顕れるって話したでしょ。
それは単に、合掌するような気持ちの持ち方が大事だってだけの話じゃあないんだよ。
それはねぇ、すごく地味だけど、とても大切なマインドセットなんだ。
そうだな…、小さい頃の記憶にある幼少期の自分を思い出してみて。
何か自分の手に余るような大きさのものを持とうとしたときに、両手を使って持たなかった?
そしてそのとき、自分は両手で持ってるのに周りの大人が片手で持ってるのを見て、それを真似しようとしなかった?
両手を使わなくても"もの"を持てるのは確かに便利なんだけど、でもそれに慣れたことによって、多くの人が"大切な心の在り方"を幼少期に置き忘れてきてしまったんだな。
『心というのは、両手を使ってものを持つように用いるものだ』ということをね。
視点を変えてみれば、それは『心の両手を使ってものごとをすくい観る』ことだともいえる。
話が抽象的に感じるかも知れないけど、心の両手を使ってものごとをすくい取って観るってのは、ものごとを丁寧かつ全体的に捉えることを意味してるんだ。
「全体的に捉えたら大雑把になるんじゃないの?」って思うかも知れないけど、それこそがものごとを片手間に見る習慣が付いちゃってることの証拠だよ。
いのちに本来備わっている視覚のなせる行為
ものごとを丁寧かつ全体的に捉えるって意識の用い方は、プラスの側面とマイナスの側面、言い換えるなら陰と陽、光と影、表と裏、外と内なんかを、実は余すことなく意識の俎上にあげて俯瞰することになってるんだ。
多くの地球人類がバードアイズビューの意識視野を閉じちゃって、"心の狭いものの見方"になってしまってるのは、『全体的に観る』という"いのちに本来備わっている視覚のなせる行為"を、『片手間に見る』ことでよしとしてしまって、使わなくなったとこにその原因があるといえる。
『俯瞰的な意識視野を甦らせよう』というような言葉でもってぼくたちが話してるのは、その宇宙人類本来の視覚能力を思い出すためでもあるんだよ。
心の両手を使ってものごとをすくい観ることが習慣になると、人間はだんだんと自己中心的な思考態度が薄れてくる。
それで、冷静かつ客観的に、また理性と知性が兼ね備わった『真実を観て取る審美眼」をもった心持ちでもって、すべての有り様を心の宇宙の内に俯瞰して観られるようになるんだよ。
みんながそうなったなら、地球はあっという間に平和になるんだけど、"夢のなかの意識"から目覚めないで夢遊病者のように"勝ち負けのシーソーゲーム"に昂じてる人たちが目覚めるのは、もう少し後のことになる。
そういう訳だから、地球界の命運は少しだけ先に目覚めたきみたちの動向にかかっているといえるんだ。
だからって、肩肘張って緊張することなんてないよ。
きみたちの命が肉体にあって、ただそこに居るだけでも大きな大きな、とても大きな働きをしてるんだ。
それは、呼吸が持つ神秘力、息吹の力によるんだけど、その話はまた次の機会にしようね。
(おわり)