★自己犠牲からの卒業
自己犠牲に尋常じゃない喜びを感じる意識境界というのは、一見とても立派に思えるかも知れないけど、そういう人が次元上昇した意識で生きてるかというと、まったくそうじゃない。
地球がホントに立派になった世界を牽引する人たちの意識は、ひとりの例外もなく、自分も人も自然も生物も、みんな生かす意識で以て生きてるんだよ。
どんなに世のため人のためだと思ってたって、自分を押し殺すのはホンモノじゃない。
これからの時代は、自己犠牲的な生き方をしている人たちは、自己に対する虐待を働く人として、生命の保健所から指導を受けたり、場合によっては保護観察されたりするだろう。
★鏡張りの世界を通り抜ければ
自分のことは棚に上げて他人の批判ばかりしていた人が、生命の神聖に目覚め始めるとどうなると思う?
今までぼくたちがさんざん話してきた自分ごとの真理にたどり着いて、鏡張りの世界ですべてを自分の投影だったと悟るまで、エゴを克服する段階に入るんだよ。
でもそれも長い目で観れば一時のことで、やがては自分こそがみずからの運命の創造者だと悟って、自分も他人も赦し愛するとこまで行くだろう。
肉体にある間にね。
★ワンネスの真髄
自分の心の奥にこそ、ワンネスの真髄が煌めいているんだよ。
だから、他人と仲よくする以前に自分と仲よくしなくちゃね。
★観てる自分と観られてる自分
観てる自分と観られてる自分が一つになったらたいしたものだ。
それは、肉体観念に張り付いた意識境界を、とっくの昔に卒業した意識だからね。
★人間は自分が自分を奥から観ている
宇宙を創造した意識は、ものすごく複合的にだけど、観てる自分と観られてる自分とがあるんだよ。
勘のいいきみならもうわかったでしょ。
人間の表面意識というのは、観られてる自分だということが。
★神性とカルマの識別
人間の意識を神性と消えゆくカルマとに分けて観られたなら、みんな生きることがずいぶんと楽になるだろう。
そうなってほしくていつも、「自分が自分だと思ってる自分はホントの自分じゃないんだよ」って話すんだ。
この真意が理解できたとき、きみの心境は一段も二段も深まって、人生に感じる困難を苦とも思わない人になるだろう。
★意識を広げるために
どこからどこまでがエゴの自分で、どこからどこまでが生命の本質の自分なのか、自分の心を正直かつ客観的に見つめて、截然と見分けられるようになるんだよ。
そのためにはいつも言うように、常時の呼吸をユッタリとして、悠々とした心で生きるといい。
ここでのもう一つのポイントは「ゆ」の言霊だよ。
ユッタリ、悠々、ゆっくり、雄大、夢などのように、「ゆ」という言葉には、次元の奥行きを含めた広がりを意味する力がある。
こうしたポイントをしっかりと押さえたうえで言葉を使う人は、自らを導く達人になれるし、そういう人こそが、真の意味での人類の指導者だといえるんだよ。