すべての人は着実に進化の歩みを進めている
近頃は、感情をコントロールして生きるためのメソッドが世にあふれてるね。
それは、それだけ生き辛い想いを抱えて生きてる人が多いからなんだけど、ぼくたちから観るとそれらの多くは、根本解決にはならない応急手当的な内容に見受けられる。
言うまでもなく心ってのは、何らかのテクニックを駆使してみたり、誰かにお金を払ったりしてみたところで、思い通りになるもんじゃあないんだよ。
でも藁にもすがりたい想いの人たちは、その時点の意識レベルに応じた縁ある人やメソッドに繋がってゆく。
そういう心の動きというのは、けっして傍から一刀両断に悪いと断言できるもんじゃないんだよ。
「あの人、変な人に繋がってから人が変わったようにおかしくなっちゃった」って思われるケースもあるけど、それでさえもその人にとっては進化のプロセスの一コマであって、けっして後退してるわけじゃあないんだ。
表面上だけ見てたらそうは思えないかも知れない。
でも実際には、着実に進化の歩みを進めてるんだ。
だいたいの肉体人間は、目の前で起こっていることや自他の言動行為の表層しか見てないでしょ。
だからこそ、他人のことをとやかく言いたくなるんだろうけど、『他人に感じたことは自身の心の鏡』という事実に照らして内省する練習をしていると、やがて各人の守護霊や守護神意識とも繋がってくるから、傍から無用の批判や非難、評価なんかをしなくて済むようになるんだよ。
一方的な願い事と真の愛の祈り
いつも言うように、すべての肉体人間は守護霊と守護神によって護り導かれてるんだ。
それは、一人の例外もなくそうなんだよ。
人の道を踏み外してしまったかのように見える人にも、今病気や怪我や失業なんかで辛い思いをしてる人にも、守護霊・守護神は見捨てることなく背後に付いて導いている。
事実をいえば本当は、守護霊意識も守護神意識もその人自身の『Higher Self』なんだけど、その肉体人間自身が自らの神性を当たり前だ思えるようになるまではそれを自覚することはない。
きみたちが傍の立場としてそういう人を見た場合にして差し上げると一番いいのは、「その人の天命が完うされますように。その人の守護霊さん、守護神さん、ありがとうございます。」という愛の祈りだよ。
ちょっと気を抜いて肉体に張り付いた想いで過ごしてると、「あの人がどうなりますように、こうなりますように」という想い方をしがちでしょ。
だから折に触れてこの話をするんだけど、「どうなりますように、こうなりますように」なんてのは、その人の守護霊・守護神からしたら余計なお世話なんだ。
この前も話したけど、不幸で苦しんでる人に対して、きみが「あの人の苦しみが一日も早く取り除かれますように」と願い事をしたとするでしょ。
それは一見すると、美しい心の動きのように見えるね。
でも実際にはその人の守護霊・守護神は、もう少し今のままの苦しむ想いの状態を体験させようとしている場合もあるの。
その場合にも、その願い事は真の愛から出た祈り言だといえるだろうか?
意識進化を志向するきみには、そのことの真贋を是非とも深く内観してほしいんだ。
本当の愛っていうのは、表面上のその場の状態だけを見てたんじゃあ観えてこないものだからね。
(次回に続く)