Voice of brothers 208 外は内で内は外 (1/8)

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★『外は内で内は外』の定義

多くの場合に地球の人たちは、目に見える世界こそがすべてのすべてで、それ以外の世界の実在を認めていない人がほとんどだ。

だから、そもそも外とか内とかいっても、「そりゃなんのことだ?」って思う人が大半だね。

意識進化を志向するきみたちは、そんな呆けた世情のなかにあっても、「外って目に見え五感に感じる世界のことで、内って心の内にある次元の奥行きの世界のことじゃないの」みたいな感じで、おぼろげにわかっている人が多い。

でも、そうは言ってみてもやっぱり何か漠然としていて、わかったようなわかんないような、わかんないようなわかったような気持ちで、モヤーッとした認識にとどまっている人が多いみたいだから、今日はその認識のモヤが薄れるような話をしよう。

まずは最初に、「外は内、内は外」の定義をするけど、大まかに分けると以下のようになるんだよ。

  1. 五官の外への認識(肉体界)と心の内への認識 〜 表面意識の奥に展開されている各種次元階層世界への認識
  2. 体外の世界(肉眼に見える世界)と体内の世界 〜 骨や筋肉、各種肉体細胞で構成される人体内部(単純に肉体の外と内に展開されている現象)

わかるかな?

わかんない人は、自分の理解しやすい言葉に意訳して読み進めてね。

これらを一言で分類すれば、主観的認識における「外と内」と、客観的事象における「外と内」だといえる。

主観的認識における「外と内」というのは、表面意識の五感をとおしてその人が感知していることで、事実そのものよりも認識してるかしてないかがウエイトを占めた分類だね。

わかりやすいところでは、捜しものをなかなか見つけられない人がいるでしょ。

はたの人が、「そんなに近くにあるのにこの人はなんで気づかないでいるんだろう」って思うようなこと……、例えば、頭にメガネを乗せていながら「メガネ、メガネ、メガネはどこだ?」ってやってるようなことだよ。

そのような場合には、想いが実際にはあるものを認識できないでいるから、その人にとってそれは無いも同然というようなことになっていて、”ある”ことに気づいたときに、初めて「あったんだー」と認識できるんだね。

対して客観的事象というのは、人間側が何を思おうが思うまいが、現象として確かに実在している客観的な事実で、それは思い込みや信じ込みなどの狭窄的きょうさくてき意識視野の有無やその大小にかかわらず、実際にある森羅万象のことだよ。(次回に続く)