(前回の続き)
いのちのマイホームに帰るためのマインドセット
地球の大地で生きているほとんどの人々が"自身"と" いのち"を切り離した自意識でもって、「私(僕)は自分の力で生きてるんだ」と思い込んで過ごしてるでしょ。
いのちに目を向けて過ごしてる人たちさえも、神とか仏とかいう遠い天上界の彼方にある手の届かない存在に期待して、依存し切った気持ちで生きている。
現在の地球上では、自らの生命に内在する無限なる叡智や創造力を引き出して生きようとしている人は一万人にも満たない状態だ。
ホントのことをいえば、「自分の力で生きてる」と思い込んでるからこそ苦悩が絶えないのだし、神とか仏とかに頼る気持ち(他力本願)で生きてるからこそ、能動的にいのちの力が発動できないでいるのだけれど、たくさんの地球人類がそのことに気が付いてない。
いのちのマイホームに帰った状態というのは、人間がその本来性を思い出して、何者にも頼ることなく自らのいのちの力を引き出して、たくましい理性と知性を発露して生きてる状態をいうんだよ。
そのベースになるマインドセットを不動心という。
不動心ってのは宗教的にいうところの悟りの境地で、何ごと何ものにも引っかからない、把われない心境のことをいうんだ。
それは、思い込みやこだわり、決め付けや執着といった類の未成仏想念をかぎりなく薄めていった先にある心境なんだよ。
言葉を発酵させて光を放とう
にっちもさっちもいかないように見える世界のなかで、苦しんでいる人々や傷つけられてゆく自然環境、虐げられている生きとし生けるもの等に対して愛の祈りを捧げることも尊いことだけれど、それだけじゃあ、その境地に到達することが出来ない。
「じゃあ一体どうすればいいのさ?」って?
うん、順番に話すから落ち着いて。
伝えることは簡単だ。それをきみが聞く(インプットする)ことも簡単に出来る。
でも一番大事なことは、インプットしたことを自分の心の底にいったん落とし込んで十分に発酵 させて、自らの意識としてアウトプットし直して言動行動に表すことだ。
この手順を踏まないかぎりは、どんなにいい話を詰め込んだところで、それは役に立たない知識の蓄積になってしまうんだな。
真理の話ってのは、本を読んで得たインスピレーションでも、人から聞いたいい話でも、それを完全に自分のものにして、自身の言動行為で表せるようにならないとホンモノにはならないの。
人の受け売りをして悦に入ってる人を見たなら、「嗚呼、底の浅いことしてるなぁ」って思うでしょ。
自分をホンモノに育て上げるコツは、読んだり聞いたりした真理の波動を、心の底にいったん落とし込んで 発酵 させることなんだ。
『真理の波動の言葉』を心奥で発酵させると光を放つんだよ。
放たれたその光は心の奥からにじみ出てきて、やがて止めどなく溢れ出てくるようになる、必ずね。
そうすればしめたもんだ。
その段階に至ると、自分に対して何かを強いる必要がなくなるから、真理にかなった想念言動行為がきみの当たり前になって、当然のごとく神性の想いを発し、自然体で真理を身に体した言葉を語り、"有りのまま"を超越した"在るがまま"の行ないが出来るようになるんだよ。
(次回に続く)