Voice of brothers 243 子どもたちと共に成長するために(前編)

スポンサーリンク

★子どもたちの命の尊さをすべての大人が思い知るために

大人の側からしてみたら、子どもとのふれあいってのは、本当に大人を意識進化させてくれるものだよね。

仮に子どもがいない大人だって、親類縁者や知り合いの子だったり、町内や街、電車やバスのなかなどで見かける子どもたちをとおして、それまで闇に葬っていた愛が呼び醒まされるようなこともあるでしょ。

そういう意味では、子どもたちというのは、人々の心に光を振りまく天使だといえるのだけれども、彼らはホントのホントに天の使いなんだよ。

上空から眺めていると多くの大人は、自分たちが子どもたちによって育てられているという自覚に欠けている。

地上のほとんどの大人が子どもたちに対して、「自分たちが育てている」、「面倒を見てる」、「養ってる」などというような、高慢ちきな想いで彼らと接しているんだな。

それはとくに、男の人たちに多く見られる意識の有りようだよ。

ほとんどの女の人には、子どもの有無にかかわらず母性が宿っているから、子どもたちに対しては、エゴよりも無償の愛が勝った状態で発露されていて、子どもたちと一緒に自分も成長していることを自覚している人が多い。

それまでの人生でどんなにエゴイストだった人といえども、今日の今日までどんなにナルシストだった人であろうとも、子供たちと心からなる心身のふれあいを行えば、内在する無償の愛が溢れ出してくるものなんだよ。

それは、神性に根ざした本然の愛のあり方ともいえるものだ。

大人たちが護ってあげなければ、生まれて間もない子どもたちは、自分の力で自立して生きてゆくことが出来ないね。

強く抱きしめたら壊れてしまいそうなその小さな体に触れれば、人は誰でもそうとは知らずに、神々が子孫である肉体人類をどのようなまなざしで見つめ、接しているかを知るに到る。

邪気の欠片もないそのキラキラとした瞳のなかにこそ、忘れ果てていた神性のきらめきを見ることになる。

また、言葉にして伝えてくれないながらも、無邪気にむずかる彼らの世話をしながら、自己の感情の葛藤を克服しつつ無私なる愛情を培う日々をとおして、人間力が磨き高めあげられてゆく。

そのようにして大人たちというのは、自分でも気がつかない間に霊止(ひと)としての天来のあり方を磨き出されて、多くの場合に無自覚ながらも、霊性の開発をしていることになってるんだよ。

だから大人たちは皆、そのような事実を知って、子どもたちに感謝しなければいけないんだよ。

近所に保育園や幼稚園ができることに反対するだなんて論外だ。

そういう考えを持つ人というのはもうね、人の風上にも置けないカルマの申し子だといえる。

そのような人たちってのは、自分たちにだって幼少期があり、周囲の大人の世話になりながら今日まで生きてきたプロセスをまったく忘れてしまっているんだね。

そういう身勝手極まりない大人たちの生態をよくよく観察すれば、無償の愛で肉体人類を護り導く守護の神霊方の苦労が忍ばれるでしょ。(次回に続く)