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(前回の続き)
★制度に依存しない価値観の構築へ向けて
現状を変えるという言葉を聞いて、ほとんどの人が思い浮かべるのは、国や自治体が現状の制度自体を変えてくれることへの期待だね。
「みんなが幸せになれるようなよい制度を作ってくれれば、自分たちが高齢者になっても生きてゆくのに困らないはずだ」ってね。
でもそれは甘い幻想だよ。
そんな制度はないといってもいい。
なぜなら、どういう制度を作ったところで、人間の意識が変わらなければ、幸せな晩年を迎える人と、そうじゃない人とに分かれるのは火を見るより明らかだからだよ。
わかりやすいとこでいうと、社会主義とか共産主義という制度があるでしょ。
マルクスとエンゲルスに端を発する平等を標榜する社会制度のことだけど、おおまかにいえば、財産の共同所有を実現することで、弱者の救済をはかることが当初の目論みだった。
でも、その思想を国の政治に適用した国々がどうなった?
汚職がはびこり大衆は貧困に苦しんで、一部の特権階級だけが甘い汁を吸う社会になってしまったでしょ。
今の時代に高齢者の救済を社会制度改革の面から行おうとすると、結局は社会主義的な発想になって、時計の針を百年以上昔に巻き戻さなければならなくなるんだよ。
そこでよーく考えてみるんだ。
さっきぼくたちは、人々の意識が変わらなければ、外的条件を至れり尽くせり整えてあげたところで、不平等になるのは火を見るより明らかだという意味のことを話したでしょ。
そのことにいつもの話を加味してごらん。
そうすれば、答えがおのずと見えてきたでしょ。
★真の社会制度変革は個人の意識進化から
社会を変えるためには、まず人々の意識が変わらなければならないんだよ。
北朝鮮を経済大国にしてあげようとアメリカがいくらお節介を焼いたところで、当の北朝鮮国民が本気でそれを望まなければそうはならない。
30年近く前、ベルリンの壁が崩壊したのはなぜ?
東ドイツの人々の意識が目覚めて、自由に生きたいってみんなが思ったからでしょ。
アフガニスタンに先進国と呼ばれる国々が手を貸して、選挙で民主的な国家運営の出来る国になってもらおうとしても、なかなかそうはならないのはどうしてだと思う?
そうだね。
その国の人たちが心からそれを望んでいないからだ。
そうした原理というのは、国だなんて大きな単位じゃなく各個人に於いても、まったくおんなじことがいえるんだよ。
「自分は幸せになりたい、必ず幸せになるんだ」って心の底から思えない人は、いつまで経っても自分の中から力が湧いてこないから、染み付いた依存癖と自己不信の間にはさまって、なかなか前へ進めないんだ。
そういう人にいくら周囲が援助してあげても、自分自身の力で変わろうという自発的な努力がそこになければ、援助が途切れたら元の木阿弥になるのは目に見えてるでしょ。
だから人というのは、自分が変わろうとしなければ何も変わらないんだよ。
今ご年配の人たちやこれから高齢者になろうとしている人たちが、現存の社会制度に関わりなく、真の幸せを志向した意識進化を成し遂げることが出来れば、そこから新たな時代の息吹が芽生え始めてくるんだ。
ということは、人々の意識が変わることによって社会のあり方が変わるというのが、正しい世の中の変え方だということだよ。(次回に続く)