(前回の続き) 人の数だけある真実の奥にある真理をつかむために 上下・左右・斜めなどの位置付けというのは、物理的にものを見た場合には、互いが共通の認識を持ちやすい方便的な表現ではあるんだけど、必ずしもそれらは事実を顕した言葉ではない。 なぜなら、そこには次元の奥行きという大切なピースが欠けているからね。 ところで今、「事実」という言葉を使ったけど、今日はちょうどいい機会だから、「事実」の真義についても定義しておこうね。 表面的な事実も真実も真理も、人の数だけのそれらがあるということを覚えておくといい。 そ ...