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Voice of brothers 196 神性を信じ切った生き方を(中編)

(前回の続き)

運命と想念の関係を自然科学的に捉えれば

一切の感情想念を取り除いた意識から事実のみを俯瞰して観れば、病気も不和もあらゆる不調和な現象も、現れた瞬間にそれらはすでに過去になっていて、想いの手でつかみさえしなければ、どんな想いも現象も、その役割を果たし終えて、それらはただただ消え去ってく命運にあるものなんだよ。

言ってみれば、きみたちが現実だと思い込んでいる自分たちに表れる不調和な想念も現象も、逆によい表れも、すべてはきみたちの過去の想念が運命となって結実して、結晶化したものなんだ。

『想念が結晶化して表れ、消えてゆく瞬間に現象化している』という事実は、他のものに例えてみれば、雨が降って、その降った水分が蒸発して水蒸気に還元して、天に昇っていったり、開花の時が来て咲き誇った花が散りゆき地につもって、やがて地や大気に還元して最小素粒子に帰るようなことなんだよ。

人間の運命も想念のあり方も、真理に照らして観れば、すべて科学的に説明のつくことでね、なんにもオカルトチックなことなんかじゃない。

神性に意識の軸を置いて生きていさえすれば、そのように物事の在り方や行方を正確に観て、正しく運用出来るようになるんだよ。

いつも言う深い呼吸の継続というのは、そうした生命の本質に意識の軸を置き切る練習をしていることにもなっていて、感情想念のぶれていた時間が、1年前には10時間くらいあったのが、半年前には5時間くらいまで減って、1ヶ月前には1時間くらいだったのが一昨日には30分くらいになって、それが昨日は20分になり、今日は15分になりというように、継続さえしていれば、どんどん神性のなかでこの世を生きてる時間が長くなってゆくことになることなんだよ。

意識が神性のなかにあれば、この世の事態の変遷に心乱されることがまったくない。

本心本体は病まず痛まず、老いさらばえて劣化もせず、森羅万象の顕れの奥で、すべての新陳代謝を司って、エネルギー供給を成しつづけている側の意識であることを、意識が神域に在るその当人がよーく知っていることになるからね。(次回に続く)