(前回の続き)
ゴミを出さずに生きている人はいない
さっき、「心の掃除を怠っていたら印の効果も激減する」って言ったでしょ。
どういうことかを一言でいえば、「人が生きればゴミが出るから」だよ。
現象の生活面でそれを考えたら分かりやすいでしょ。
人生を生きてくうえでゴミと無縁な人はいない。
絶世のレディーも憧れの美男子も、ダンディーなお爺さまもキュートなお婆ちゃまも、みんなみんな一人の例外もなくゴミを出しながら生きてるんだ。
きみたちは日本に生きてるから日本のゴミ出しのルールを使って話すけど、ゴミを出すときには分別して出すよね。
不燃ゴミも可燃ゴミも、瓶も缶も、アルミ缶もプラスティックごみも、雑誌や新聞・ペットボトルやダンボールなんかの資源ゴミも、なんでもかんでも一つのビニール袋に詰め込んだり、ルール無視で出す人はいないでしょ。(実際はごく一部にそういう人がいるんだけど)
みんな自治体が定めたルールに則ってゴミ出ししてるね。
きみたちは知らないかも知れないけど、そうしない人がいる場合には、マンションなら管理人さんが、一軒家なら自治体の回収車の人が、第一段階としてそれがゴミとして処分場へ行くことを食い止めている。
そこをスルーしてゴミ処分場(可燃ゴミやプラゴミ、瓶缶ペットボトルなどの分別処理工場・不燃ゴミ処理場・破砕ゴミ処理施設など)へ行ってしまった場合は、そこでもまたゴミを分別して正しく処分する人たちがいるんだよ。
そして、燃えるものは焼却処分され、再利用できるものは手順にそって処理され、最終的に燃えないものは埋め立て処分されているんだ。
それを担当している彼らの苦労たるや並大抵のものではないんだよ。
場合によっては汚物を目にすることもあるし、すえた生ゴミの放つ異臭たるや言わずもがなでしょ。
心のゴミを処分すべき時旬が来た
心や精神の働きにおいても今の話と同じように、人間たちは瞬々刻々いろんなゴミを出してるんだよ。
ゴミの量や重さの多寡の違いはあれど、心にゴミが出ない人はいないといってもいいくらいのもんなんだ。
また今の地球上で、自分自身がそれを処理することが出来る人の数はかぎりなく少ない。
99%以上の人は想いのゴミを捨てないもんだから、みんな自分の心にゴミの山を築いて、異臭漂うゴミ屋敷のなかで生きてるんだな。
どう?
想像するだに身震いがするでしょ。
心の中の様相は、見えも聞こえも触れもしないから知らないで済んでたけど、心の事実と向き合って正しく分別・清掃するべき時旬がやってきたから、ひとりひとりが遅かれ早かれ、今言ったような心の大掃除をせざるを得なくなるんだよ。
でもそれを早めにやり始めておけば現代文明の年末が来たときに楽に過ごせるから、アセンションした意識が当たり前になるように、今からやっておくことをお勧めする。
おうちのなかがそうであるように、心のなかもちょっと掃除を怠ったら埃がたまるんだ。
それはまた、身体を洗わないで何年も過ごしてたら垢まみれ、フケまみれになることにも例えられる。
ほとんどの人類が潜在意識に積もらせた何千年か何万年分の心のゴミを処分すべき時旬にあってどう生きるか。
それは、ひとりひとりの選択と決断に委ねられているんだ。
(次回に続く)