(前回の続き)
★アセンションした世界とは
ある一面から観ればアセンションした世界とは、そのように必要なものが必要に応じて手に入る世界をいうんだよ。
例えばぼくたちの世界では、きみたちの社会のように勤労の対価として金銭を得るシステムがない。
けれどもそのことで衣食住に困っている人は一人もいない。
それでいて、何をしてもしなくても生きていけることにかまけて怠けている人もいない。
きみたちの世界の平均的思考から浮かび来る悪知恵からすれば、「お金がなくてもどうせ衣食住に困らないっていうのなら、いっそ働かないで遊んで暮らしてやろう」と思うかも知れないけど、そんな不埒な考えを起こす人ももちろん誰一人としていないんだよ。
それはどうしてだと思う?
「誰もの心に神性意識が標準装備になってるから」
そうだね、お金の必要ない世界のことは、地上で何人もの人が発表しているからなんとなくイメージできるかも知れないけれど、一言でいえば、生命の根源への中心帰一の思想が社会の根底にあるからなんだよ。
まず大前提として、ぼくたちの世界では、人の命がどこから産まれ来て、現象界で何をなすべきなのか、体を抜け出して移行(きみたちの考える死亡)をしたらどこへ行くのか、そもそも命とはなんなのか、天地の理法とは、宇宙とは等々、きみたちの世界でいうすべての神秘が、生命科学、神霊科学によって明らかになっている。
それに、寿命もきみたちの世界のように短くないから、生き急ぐ必要もない。
それでもってぼくたちの社会には、それぞれの持って生まれたいのちの色……、そうだね、その人にしかない持ち味や天命を活かす生命教育が、誰も彼もに産まれたときから徹底して施されていて、みんなが全体のために奉仕することに誇りと喜びを持っているから、「怠けよう」という発想が起こりようもないんだ。
それは、必要なものは必要に応じて大生命から供給されるという、生命根源に直通した社会システムが確立しているからなんだよ。
ぼくたちの世界では、衣食住にかかわるすべてについて、所有を主張する人が一人もいなくて、逆にみんながいのちの大元である大生命から、家なり土地なりを一時的にお借りしてしていて、食べ物なり着るものなりも必要に応じて対価なしで手に入れることができるんだ。
この大生命、いのちの元のことを、大神さまと呼ぶんだよ。
それでぼくたちの世界では、一人一人の人類は小生命、大神の光の光線としての神々であることを、すべての人々が自覚している。
だからさっきも話したように、神性ならざる想いを起こす人もなく、すべてが調和裡のうちに運ばれていて、全人類が無限なる進化の螺旋をどこまでも深く高く窮めてゆくことが、無理なく自然に行える制度が完全に成立しているんだよ。(次回に続く)