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(前回の続き)
★超常能力は神性意識開発の後で自然と身に付く
それで、ぼくたちがここでハッキリときみたちに知ってもらいたいことは、超能力や霊能力なんてのは、意識進化のプロセスでは、実際問題としては、なんの役にも立たないということだよ。
そんなのは、神性意識が開発されたあとで、必要に応じていくらでも使いこなせるようになるもんなんだよ。
ということは、神性意識を開発した後に使えるようになった超能力や霊能力はホンモノだということだよ。
そうなる前に、抜け駆けしてそれらの能力を開発しようとすると、99.9%以上の確率で道を踏み外して、幽界の生物の餌食にされて、意のままに操られるのがオチだといえる。
そういう方向に歩みを進める人ってのは、たいがいコンプレックスの塊で、だからこそ他人にないものすごい力を得て、人から認められようとするんだね。
そういう人は、真理を逆立ちして見てるから、だいたいが非真理を真理のように思い違えてるんだ。
それでぼくたちは、きみたちがそうならないように、当たり前の呼吸をユッタリとさせることで変性意識状態に陥ることなく、当たり前の覚醒意識状態にありながら、その状態が神性の波動を表したものになるように導いているんだよ。
★神性意識状態とは
神性意識というのは、正常に覚醒している意識状態が、博愛原理に基づいた慈愛の意識状態にあることをいうんだよ。
それはけっして、変性意識状態なんかでも、超能力や霊能力なんかが表れた状態でもなく、普通の意識がそのまま生命そのものの神聖を表した状態をいうんだ。
変性意識状態というのは、正しい指導者もなしに間違った修行をすることでも体験できるし、薬物を用いても経験できたりするんだよ。
ここでハッキリと伝えたいことは、ぼくたちの推奨する神性意識という心の状態が、心理療法や精神世界界隈で取り沙汰されている変性意識状態(ASC)とは、まったく無関係な意識状態だということだよ。
そんなのただの回り道、寄り道なんだ。
さっきも言ったけど、当たり前の意識が普通になんの執着もこだわりもなく、何ごと何ものにも把われることなく、微塵の不安恐怖も湧き起こらず、不動の心で神性を表した意識状態にあることこそが、アセンションした意識状態、神化した人の姿であるということだよ。
そのためには、他の人に秀でた何かを求めるのではなく、誰もの心奥に内在する神性を開発して、それを想念言行に表すことがいいんだよ。
それは、誰か他の人に自分のことを認めてもらうのを求める道ではなく、自分がみずからの内の神性を思い出して、誰よりも先に自分自身の完全性を認める道なんだよ。
そのための最善の方法が、いつも言うように、常時の呼吸をユックリとしたリズムで繰り返すことなんだよ。
そうすると、当たり前の想念言行が、当たり前のように神域の想念言行に昇華してくんだ。
そのことを忘れず心に刻んで、地道に諦めることなく呼吸をユッタリとさせてごらん。
そうすればきみは、他の何ものでもない自分自身の生命の真実をその手につかんで、そのままのきみがいつの間にか宇宙大に拡大した、居ながらにしてすべてがわかる神人に変貌してゆくのだからね。(終わり)