(前回の続き) 陸上(肉体性)の愛と大海(いのち)の愛 自分の想いの動きが自己都合に基づくものなのか、真愛に基づくものなのかは、肉体に張り付いた常識を元に見る想いには見分けが付かないでしょ。 だから今から、それを見極めるための話をしよう。 それはね、自身の愛の心を水に喩(たと)えて観ることだよ。 世界中の何処の大地にあっても、水は山から湧き出て大海原へと流れ着くでしょ。 端的にいえば、自分の愛(みず)が河川や湖にある淡水の意識か、大海原に充ち満ちた海水の意識かを観ればいいんだ。 自分の意識を占める「好き」 ...