なぜ他を変える以前に自らを変える努力をしなければならないか
先ほど、人類がどのように生き方を変えてゆけばよいかというところで、「地球人類すべてが自らの生命の本質である神性を思い出す必要がある。そして、その意識でもってすべてに神性を認めることだ。そのためには、何よりもまず初めに、自らの神性を当り前のものとして認識する必要がある。」と申し上げました。
なぜ他に愛を投げかける前に、他者に寄り添う以前に、自らの神性を思い出し、それを当然認識にする必要があるかと申しますと、人間という生物は、自らを真に許し愛せていない場合には、どんなに愛の言動行為を現わそうとしても、そこに葛藤や打算などの邪な波がもれなく張り付いてしまう生物だからです。
だから何にも先駆けて、自らを許し愛し、己に寄り添って心の中の暗闇全域に『いのちの大光明』を行き渡らせる必要があるのです。
真に裏表のない愛を行ない表せる人は、心の中に一切の葛藤がないのです。もしくは薄いのです。
そのような状態に自らをアップデートする努力無しには、どんなに外の世界を良くしようと努力しても、良くなりようがないのです。
どうしてかというと、自らが認識している世界は、すべからく内なる宇宙の投影だからです。
自分の中に世界人類がいるのです。
たくさんの自分が心の中にいるのです。
それらは神我に融け込む体験を経ないかぎりは、多くが未成仏の想いの波です。
私はそれら内なる様々な想いの波を『自分人類』と呼び、他に感じた想いを自身に向け直し、相対する二種類の自分を見つけ抱きしめています。
外に感じる想いの実像
相対する二種類の自分とは次のようなことです。
- 自分を認めていない自分と、自分に認められていない自分。
- 自分を許そうとしない自分と、自分に許されていない自分。
- 自分を低く見て踏みにじっている自分と、自分に低く見られ踏みにじられている自分。
- 自分を愛していない自分と、自分に愛されていない自分。
- 自分を嫌っている自分と、自分に嫌われている自分。
神性波動に還元し切れていない人の心の中では、総じてそのように相対する自分、加害者的自分と被害者的自分が心の奥の暗闇で暗躍していたり、うずくまっていたりするのです。
それを肉体の外の世界に映し出し、さも鏡を見るかのような形で、社会の状況や他人の言動行為に対する感想を抱いているのです。
それらの想いを自らに向け直すのです。
その行為は、心のなかにいのちの光を照らす行為です。
そうすることで、外の世界に不調和を感じる真の原因を見出すことが出来るのです。
見つけたらそれをどうにかしようと画策する必要はありません。
ただ観るのです。
双方を同時に観るだけで成仏するのです。
この世の不調和の真の原因は、認識し得なかった無意識領域の中にあったのです。
それらをただ観るだけで、プラスとマイナスのバランスが成され、把われのない心境に近づいてゆくのです。
(次回に続く)