すべてに内在する神性をハッキリと認識するために
先ほど、『外の世界に感じた想いを自身に向け直し、想念のプラスとマイナスを調和させるのがよい』と申しましたが、そのことについてもう少し掘り下げて解説いたします。
いつも申しておりますとおり人間は、社会の状況や他人の言動行為、自然界や生きとし生けるもののあり方など、肉体の外のものごとに対して、百人百様の感想を抱きながら生きています。
それは以前にも書きましたが、Aさん・Bさん・Cさんという三人の人がDさんという人について感想を述べ合うというような場面で、「好ましい」「どちらでもない」「好ましくない」といった三者三様の感想を抱くことがあるという例からもわかります。
その心は『他人という鏡に自身の内面を映し出して見ている』ということで、自分に原因のないことは感じようがないのです。
何かを感じたということは、そのように感じる原因が自身の中にあるからです。
そして大切なことは、その想いを抱いたときに自らの心に何らかの引っかかりが生じたり、感情想念がうごめいたりして、心の中にしこりの残像が生じた場合は、"それに関連する不調和状態が自らのなかに手付かずの状態で放置されている"ということです。
その不調和状態を調和した状態に戻すことで、世界や他人に対してネガティブな感想を抱くことがなくなるのです。
ということは、すべてに内在する神性がハッキリと認識出来るようになるのです。
この大事な事実を教えてくれる人が世間に少なかったため、多くの人が他に責任転嫁してものを思ったり、自分には何の責任もないかのように感じたりしていたのでした。
自身の道を掴む
内省的な人は、この方法で自身の心を調えてゆけば、必ず把われのない心境に近づいてゆくのです。
世間には様々な性質の人がいます。
ゆえに、自身の本質である神性に還元する方法も様々な方法が打ち出されています。
ようは、自身に合う方法で神我を思い出してゆけばよいのです。
どのような道でも、初めの一歩は模倣から始まります。
どんな道を究めるにも種々の型があるのです。
その様々な型の中で「これだ!」と思った型を掴んだらそれをトレースするのです。
絵を描くのでも楽器を弾くのでも歌を歌うのでも、すべては人の真似から入ります。
小難しい理屈ばかりを頭に詰め込んでみても頭でっかちになるばかりで、真に自分を変えることは出来ません。
上手くゆかなければ違う方法を探せばよいのですから、「この方法がよいかも知れない」と直観した方はどうぞお試しください。
人は元々どんな人でも神性の存在なのです。
今どんなに悪人のような状態で生きている人にも神性はあるのです。
あの世での時間も含めた人生は、そこへ帰るための旅路だったのです。
すべての人がそのことをハッキリと思い出すことが出来る時代が来たのですから、どうか迷わずに自身のルーツへ近づく選択をしてください。
その瞬間あなたの守護の神霊は、より大いなる力(勇気と行動力)をあなたに与えてくださるでしょう。
(おわり)