陰陽の要素を同時に観る秘訣
俯瞰を常住視座にするためには、心の中の陰と陽の要素を同時に観ることが大切です。
数年前までの私は、陰陽どちらかの分かりやすい偏りを自身の中に見出しただけで満足していました。
それで自分が分かった気になっていたのです。
しかしそれは、"井の中の蛙大海を知らず"状態でした。
すべての精神波動とあらゆる物質波動には、表があれば裏があるのです。
光があれば影があるのです。
強さがあれば弱さもあるのです。
善があれば悪があるのです。
それらをプラスとマイナスという言葉で表現するならば、そのプラスとマイナスそれぞれにまた陰陽があるのです。
そのようにして、"宇宙を組成するありとあらゆる物質要素と精神要素"が構成されているのです。
今日までの地球界における肉体人間という生物は、実際にはそのほんの一部しか見えていないにもかかわらず、知った気になっていただけだったのです。
プラスを観たら、マイナスにも意識を向けるのです。
陰をクローズアップして見たなら、陽の要素にも視野を広げて一緒に見るのです。
両方があってバランスが取れているのです。
そのこと自体に善悪正邪はないのです。
真理を忘れ思い至らなかったこれまでの想念習慣は、象の尻尾の先端だけを見て象の全体像を知っているかの如く勘違いしていただけだったのです。
それこそが未成仏想念の真実だったのです。
それを知った今からの私たちは、部分を見たならその奥に広がる全体を見るのです。
そうすることで、気付きの深さが雲泥の違いになります。
包括的に見渡す意識を身に付ける練習
陰の要素も陽の要素も"全体を構成する一部"として包括的に見渡す意識こそが、人間本来の生命意識、即ち神性領域の意識なのです。
それこそが新生した霊的次元にある地球での意識の使い方なのです。
今のうちにこの意識の用い方を身に修める練習をしている人は、いざそのときが来たときに慌てずに済みます。
意識の目覚めが自然発生的に生じる方も中にはおられますが、そうではない場合でも、神性の視野でものごとの陰陽や表裏を見渡す練習をしてゆくことでも起こります。
そのための根本的なマインドセットは、自身を含むすべての人類が神性に根ざした存在であり、大宇宙を創り運行している大いなる生命の源の力を分け持った存在であるという存在定義を当り前のものにすることです。
そのためには、うまずたゆまずそう思いつづける練習が必要です。
しかしいつも申しておりますとおり、起きている間中の呼吸をユッタリとしたものにする練習をしつづけることでも、意識はその方向へとアップデートしてゆきます。
それはとても大切な話ですが、今回は『自らの心に俯瞰的な意識での視座を持つことを当り前のものにする』ことに焦点を合わせた話なので、いずれまた触れることにいたします。
(おわり)