ああでもない、こうでもない。
何は好きだ、何は嫌いだ。
何が正しい、何が正しくない。
それらの想いはみんな、いのちの光が完全燃焼してない状態で表われた心の動きだね。
即ちそれらは、くすぶった想いの動きであり、カルマ想念の波動だといえる。
そうした心の中にある想いのくすぶりを、そのままに放置してたらどうなると思う?
心が一酸化中毒になるでしょ。
それがこの世の中における地球人間たちの”苦悩の正体”なんだよ。
だから、いのちを完全燃焼させて生きるのが尊いんだ。
「案ずるよりも産むが易し」ってあるでしょ。
悩む時間があるんだったら、心と体を動かせばいい。
動けば道が開かれる。
動かなければ八方塞がりのままだ。
人類という生物にはみんな、ひとりの例外もなく、神性という無限の力を宿した性質がある。
それを人生に活かして生きること。
それこそが、ひとが生まれてきた意味であり、意義なのだからね。