(前回の続き)
「よりよい人生を築きあげるための努力」とは、想念の特徴と呼吸の根本意義を理解して、意識と呼吸を正しく扱いながら生きる努力です。
本当の幸せとは、状況の変化や他人の言動に左右されない、確固たる宇宙観を身に修めた状態です。
“幸せの的の中心”に意識の矢を放つためには、神聖そのものが自身の本質であるという心の基礎フォームをシッカリと練り上げて、大調和の宇宙理念のみを確かに見据え、その中心に向けて意識を使うことです。
簡単に一言で申し上げますと、それは、意識を正しく扱うことだといえます。
想念の特徴を理解して、瞬々刻々の意識を正しく扱う練習をたゆみなく続ければ、どんな人でも必ずぶれることのない本当の幸福感を得ることが出来ます。
そのためには、自らの心身における実際の行動に繋がるための意識の使い方やをすることです。
行動を伴う意識の使い方をすることだともいえます。
今現在発している自らの想いや言葉・行動が、望む現実をつくり出す行動に繋がっていないならば、短絡的に見るならそれは、生命エネルギーを無駄づかいしている状態だといえます。
悠久の視座から観ればそれは、その時々に通らなければいけない必要な道のりを歩んでいる姿だといえます。
ここで根本的に大切なことを伝えます。
意識を正しく扱う鍵は、「私○○の本性は神聖なり」のような、生命の真実を見極めた意識の初期設定という土台のうえに、神聖に基づいた想念・言動行為を積み重ねることです。
一番大事なことは、常日頃から自らを何者と認識しているか、です。
不完全な者、弱き者、低き者、自分と他人は別の者と認識している場合は、二元対立の発想の底なし沼からなかなか抜け出せません。
しかし、神聖認識の土台がシッカリとしたものであれば、どのような暗い境遇からも抜け出し、光一元の世界に立つことが出来ます。
日常生活のなかで、何を当り前だと認めているか。
そこを偽ることなく観て、神聖に根ざした愛の心で包み、抱きしめてあげてください。
いいとか悪いとか、好きとか嫌いとか思っているのは、本当の自分ではありません。
本当の自分はすべてを慈しみの心で抱擁しているのです。
そこへ行き着くためにも、前述の意識の使い方を気をつけて行ないながら、どんなことにも感謝する練習を続けてみてください。
そうすれば必ず、揺るぎない幸せを自分のものにすることが出来ます。
(終わり)