(前回の続き)
一人一人の“当然認識”の集合平均が地球全体の未来を形成していることはいつも申し上げていることですが、それがわかってさえも、「私は地球の未来に明るい影響を及ぼす想念・言動行為が出来ていないなあ」といった想いが脳裡をよぎるような時、私達はどのようにすればその袋小路を抜け出すことが出来るのでしょうか?
地球の未来を左右する大切な今この時代に、地球が宇宙世界の仲間入りを果たすことが出来る千載一遇のチャンスである今この時旬に、私達ひとりひとりにできることはなんでしょうか?
それは、自らのいのちの奥から湧き上がり、私達の本来性を顕わし示している“光の意識”、“真理の意識”、“神聖の意識”に自信を抱くことが出来るような練習をすることです。
具体的には、“光の言(ことば)”、“真理の言(ことば)”、“神聖の言(ことば)”を発し続け、使いこなせるようになるための練習を積み重ねることです。
その初めの段階においては、自分自身の正直な意識が、“光の想い”、“真理の想い”、“神聖の想い”に同調できていなくとも構いません。
“忘れ果てていた”からこその『思い出し切る練習』なのです。
ここで、先ほど「言(ことば)」というコトバを使いましたので、少し「言葉」と「言(ことば)」の違いについてお伝えします。
言(ことば)とは、光そのものの律動であり、宇宙を創造し運行している波動、すべてをあらしめる無限なる力・エネルギーのことであります。言い換えれば、言葉として肉体の脳髄に表われる言の葉、声帯を震わせて出てくる「言葉」、即ち、言葉の枝葉のさらに奥の幹や根に該当する響きです。
私達がこれまで、「この肉体こそが私であり他人なんだ。人間は一人一人が別ものの存在なんだ。私は私、他人は他人なんだ」という想いを根底にして使ってきた言葉は、読んで字の如く、言葉の枝葉であり、生命本来の波動を顕わし切れていない状態の幼いコトバでした。
地球人類全員が神聖の復興を果たすことができる現代には、そうした本当の事実、真理を身に修め、想念・言葉・行為に顕わすことが必須であります。
地球人類ひとりひとりがそうした真理を行ない顕わさないならば、人類自身の自己限定と自己否定の習慣性によって、早晩に地球の未来は閉ざされてしまうからです。
そうしないために、真理を行ない顕わさんと生きる私達がこの時代に生まれて来ているのです。
私達ひとりひとりが地球の救世主なのです。
(次回に続く)