生命権能を他に明け渡さないでいられる真理について(前編)
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★夜明け前が一番暗いということは
きみたちの世界では、“この人にまとまったお金を払えば、想いのブロックを外してもらえて、心が軽くなってアセンションしやすくなる”とか、“物理的なDNAの傷をも癒やして、心身ともに健康で健全な人生を歩めるようになるでしょう”なんて宣伝文句で、心の安らぎを求める人たちに呼びかける商売もあるね。
そういう商売が成り立っていることに関して考えなければいけないことは、“「そういうことしちゃいけない」とか、「そんなの嘘だ」とか言う以前に、需要と供給の関係で求める人がいるのだから、当然のこととして、そこに欲の手を伸ばす人が出てきている”ということだよ。
需要と供給のバランスから見れば、一人一人が自分のなかの力に気づいてゆけば、そういう商売も自然と少なくなってゆくことは判るでしょ。
真の安寧を求めている人が地上にいるかぎり(需要があるかぎり)は、霊化が進んでいる現代では、ある種の霊能を得て、そこで立ち止まり、始めに話したような商売を始める人(悟ったとか、人々を救うお役目を神様から授けられたとか、宇宙の根源の光と一体化を果たしたとかアピールする人)も、これからまだ出てくるかもしれないね。
そこに商機があるかぎりはね。
それにつけても思うことは、「本物の真理さえシッカリとつかんで生きていれば、そんな遠回りをしないでも済むのに……」ってことだよ。
大切なことは、心のブロック(神性を忘れてた時代に蓄積したカルマだね)の根本的な解消は、他人に外してもらうことよりも、最後は自分の内なる光によって果たされてゆく、ということなんだ。
「今が苦しいから少しでも楽になりたい」って気持ちはよくわかるよ。
けれども本当のことを言えば、今が苦しければ苦しいほど、魂がよーく浄まっている時なんだよ。
それが自分のお尻を自分で拭くことにもなっていて、そういう人は、もう少しだけその苦しみを観じ切れば、心の奥に初めからあるいのちの大海原と表面意識が開通を果たして、魂が自立した生命の成人に進化することになるんだよ。
以前に、きみがそういう境涯だったときによく話したでしょ。
「今は心の夜明け前なんだよ。夜明け前の時間が一番闇が深いのは自然なことなんだから、暗い、辛い、苦しい、云々かんぬんって、不平不満ばかり述べ立てなさんな……」って。

だから今この瞬間に、想いが苦しくて仕方ないとか、体が辛くて仕方ないって人は、実は、その苦しみの境涯を卒業する寸前のところまで来ているんだよ。もちろん、つらいときはお医者さんや信頼できる人に遠慮なく相談してね。それもいのちを大切にすることだからね。
そのうえで、誰かにすべてを任せてなんとかしてもらおうとするよりも、自分のなかのいのちの光を信じて歩むほうが、せっかく魂の借金を返し終えようとしている歩みを、そのまま確かな実りにつなげてゆけるんだよ。
他人事として聞けば、もったいない話だと思うでしょ。
でもそういう類のことは、自分がいざその立場になったなら、実際に誰でもやりかねないことなんだから、今が苦しい方の心の苦しみが少しでも軽くなるようにその想いに寄り添って、その方の守護の神霊に感謝をしながら、その方の天命のまっとうを祈るのがいいね。
祈りってのは、空に輝く太陽光線のような肉眼には見えない光で、一人の人がまっすぐに心の奥の天とつながって、その光を地上に放射すれば、その人の魂力や胆力、霊としての格にもよるけれど、一人の祈りで、数百人から数十万人の人の心の空に、明るい希望の光を注ぎ込む陰徳になるんだよ。
その希望の光は、心の苦しみを和らげたり、苦しみを造り出す元の想念習慣に風穴を開けて、苦しんでる当人のいのちの光が表面意識に直通しやすくなるきっかけ作りにもなっているんだ。
ここで話を始めに戻して、知ってれば他者依存しないで済む真理、自己の生命権能を他に明け渡さないでいられる真理について、あらためて振り返ってみよう。(次回に続く)








