脳裏をよぎる想いを観る ― 命と向き合う内省のすすめ
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ふだん、きみの頭の中をよぎっている想いがあるでしょ。
朝起きてから夜眠るまで、人の頭のなかには、数えきれないほどの想いが浮かんでは消え、浮かんでは消えしている。
廻りの人に言われた一言が気になったり、明日のことが不安になったり、昔の失敗を思い出して胸がざわついたり。
人間ってのはね、そうした想いを俯瞰の眼で観られるようにならないと、いつまで経っても感情の渦巻きから抜け出せないんだ。
想いの渦巻きに飲み込まれているうちは、自分が怒っていることも、悲しんでいることも、冷静に見つめることが出来ない。
それはただ、想いの波に流されて生きている状態なんだよ。
それを、自分が一瞬一瞬何を思って生きているのか、脳裏をよぎる想いを冷静に観察していられる意識状態に意識進化させるんだ。
湧いてきた想いを少し離れたところから「ああ、いま自分はこう思ったんだな」って眺める。
それだけで、心はずいぶん静かになるものなんだよ。
そのためにはね、いつも言うように、命の実態というものをはっきりと知る必要がある。
自分は何者なのか?
命ってのは一体なんなのか?
命はどこから来て、どこへ去ってゆくのか?
人はなんのために生きるのか?
答えはすぐには出ないかもしれない。
でも、問いを発し続けること自体に意味があるんだ。
そういう生命の本質について思索する時を持たずに年老いてしまうのは、本当にもったいない。
毎日の忙しさに追われ、目の前のことだけで一生を終えてしまうのは、宝の山の前を素通りするようなものだよ。

きみは、底の知れた人と、底知れない魅力のある人、どちらがいい?
含蓄に富んだ言葉を発する人。
会うたびに何か大切なものを受け取れる人。
この人のことをもっと知りたいって思われるような人。
そういう人たちは、一様に自分の命と向き合う時間を持ってきた人だ。
そういう人の言葉は、表面の言葉ではなく、深いところから湧き出る言葉だから、人の心に響くんだ。
そういう人になるためには、はじめの話に戻るけど、自分を見つめるという内省の時間を持つ必要がある。
けれども、それが難しいと言う人もいる。
じっと座って自分の心を見つめようとしても、雑念ばかりが浮かんで、かえって苦しくなってしまう。
そういう人は、命の華が咲く時期がもう少し先に来る人なんだ。
でも焦らないでいい。
植物の花に咲き誇る季節があるように、人にもそれぞれの時がある。
だから、そのときが来るまでは、どんなことにも感謝できる意識を養うこと。
そして同時に、起きている間中の呼吸を、ゆったりとした呼吸にする練習をしておくことだ。
感謝の心は意識を澄ませ、深い呼吸は心を落ち着かせてくれる。
この二つが、やがてより深い内省の土台になるんだよ。
そうやって毎日を、地に足を付けて、地道に生きてさえいれば、時が来れば、自分の本質に繋がりたくて繋がりたくて、しょうがなくなるときが必ずやって来る。
そのときだよ。
きみの命の華が開くときは。
その日を楽しみにして、今この瞬間に出来ることを、一生懸命に取り組んでごらん。
そうしたら、必ず命の真髄と直結して、この世のすべての本質が判るときが来るからね。









