(前回の続き)
見たもの、聴いたもの、触れたもの、嗅いだもの、味わったもの…。
それらに心が動いたら、心が動いた原因は己にあります。
それらの想いは、見たり聴いたり触れたりなどした対象に対して、自らが思ったことであり、他動的に思わされたわけではありません。
「なんでそんな当たり前なことを」と思われるかも知れませんが、ここのところが大切なポイントです。
五感に触れた対象が人に何かを思わせるのではなく、意識が見た対象に対して何かを思っているわけです。
五感に触れた対象に対して何かを思う、その仕組みさえわかれば、人は迷うことも悩むこともありません。
ここを漠然と認識していたがために、多くの人が二極の檻(二元対立の世界)から抜け出せなかったのです。
よく出す例えですが、複数の人がある一人の人物を見て、ある人は「あの人はいい人」と思い、違う人は「あの人はなんか好きになれない」と思うようなことがあります。
それは、ある色を複数の人が見て、人によって見方が異なるようなことです。(赤く見えたり、青く見えたり、黒く見えたりなど)
何故そのようなことが起こるかというと、自我のフィルター越しに世界を見ているからです。
私たち人類は、永い間、肉体こそが私であり、あなたであり、あの人であると見ていました。
宇宙大にも拡大し得る意識を身長百何十センチ、体重何十キロの肉体内のものと自己限定して思っていたからです。
しかしいつも申し上げますように、人間の真実は、そのようなちっぽけな存在ではありません。
私たち人類の意識の源には、宇宙を創造し運行している大いなる力、大叡智があります。
なぜなら宇宙を創った源の意識が、自らの意図した大調和世界を創造する権能を各惑星の人類に分け与えているからです。
その事実を忘れていたが為に、人類は自分と他人を別の存在と認識し、自然や生物のなかにも自分の命とまったく同じエネルギーが流れていることを忘れ果ててしまっていたのです。
しかし、そのような過ちと見ゆる地球人の想念言動行為も、惑星開発のプロセスに組み込まれた宇宙の計画でした。
だから、反省しこそすれ、後悔はいらないのです。
真実を忘れ果てて生きる時代はもう終わりました。
これからの地球人類は、生命の真実を肉体意識にインストールして、自由に使いこなすことが出来るのです。
(次回に続く)