(前回の続き)
『視えたものは疑うこと』の補足
さっき、「視えたものはまず疑うんだよ」って話したでしょ。
繰り返すけどそれはとても大事なことで、明確な映像じゃなくっても、閉じたまぶたの裏にきれいな色の光が見えたとか、頭のなかで誰かの声がしたとか、そういうことも含むんだよ。
そういうことに興味を持つ心境は人間に内在する神性とは凡そほど遠いもので、そうした意識状態には幽界にうごめく未成仏想念の波長がピッタリ合うことから、だいたいは彼らが感応してくることになるんだ。
そうするとどうなるかっていうと、まあ、まあ、まあ、まあ…。
彼らの楽しみは、人間たちを騙して思い通りに動かすことだから、奇跡のような幻覚を見せられたり聞かされたりして信じ込まされ、やがては意識の中枢を乗っ取られちゃうんだ。
それでやがては、非常識な考え方に支配され、人にあるまじき想念言動行為に身をやつしていって、運命を破綻させてくことになるんだな。
ヒドいのになると、「私はイエス・キリストです。あなたは私の生れ変わりです」とか「我は天照大神なり」なんて言って出てきて、それっぽいご宣託を並べ立てて肉体人間をコントロールしようとするんだ。
贋者だと気付かせないように、巧妙にカモフラージュしながらね。
だいたいの人は見えない世界が見えるようになったり、聞こえないはずの声が聞こえるようになったりすると、簡単にそれらを信じ込むもんだから、彼らからしたら肉体人間を騙すのなんて、赤子の手をひねるようなもんなの。
だから、「何かが見えたり聞こえたり感じたりしたら、まずは疑うんだよ」って言うわけ。
Higher ExistenceとHigher Self
審神者って言葉があるのを知ってる?
それは、今言ったような見えない世界との交流のときに、その現れた現象の真贋を見抜く人のこと、もしくはその能力のことをいうのでしょ。
そういう力を身に付けたいと思う?
だったら、今から言うことを心に刻み込むことだよ。
そしてそれを、きみ自身の行動原理にするんだ。
いいかい、誰にも頼ることなくその力を自らが持つための大切な基本こそが『まずは疑う』ってことなんだ。
だから自分の内面に、自分以外のなんの姿を見ても聞いても、けっして興味を持たないようにする練習をすることだよ。
結局のとこ、"自分の中に原因がないものは自分の人生に現れない"という面からいえば、『どういう波長が感応してくるかは、自分自身に原因があるのだから、一切の非を感応してくる相手に帰すことは出来ない』って事ではあるんだけどね。
何度でも言うけど、きみが自身の内で『Higher Existence』と繋がったと思うことがあったなら、見抜く眼を養ってないうちは必ず眉に唾をつけて観るんだよ。
ホンモノの高級神霊や宇宙の人々は、肉体人間を意のままに操ろうとすることはない。
それに、自分たちに頼らせるだけ頼らせといて、依存させた状態のままで捨て置いて、自発的意識進化の意欲を削ぐような関わり方はけっしてしないんだよ。
そして、真実の『Higher Existence』は、きみの本心であるところの『Higher Self』の外面的な現れでもある。
だから誰とどのように関わり、どのような影響を受けたとしても、ホントは『自身が自らを導いている姿』であることに代わりないんだよ。
そのことを知ったきみは今日限り、何かの力を借りなきゃ何にも出来ない状態からは卒業した。
今日からのきみは、高次の存在としてのきみだ。
ホントの『Higher Existence』や『Higher Self』は、きみ自身が独り立ち出来るように、魂を自立させずにはおかない権威をもってきみを導いている。
だからきみは、きみ自身が高次の存在として自身を導いてることに自信をもって進んだ。
(次回に続く)