本質的な人類の在り方
きみが今この時代にあってどれほど『魂の自立』を志向しているのか、ぼくたちには"その気持ち"や"覚悟のほど"が痛いほど伝わっている。
なぜなら、ぼくはきみで、きみはぼくだからね。
こう言うと「いやいや、別人でしょ」って思うかも知れないけど、『いのちの光の世界』では人間が考えてるような"個人という存在"はなくって、光としての意識エネルギーだけが充満しているんだよ。
それは、「各自の波動圏が次元を交差して重なり合ってる姿だけがある」ともいえる。
そこには時間も距離も無い。在るのはただ、宇宙に遍満している『いのちの光』だけ。
宇宙人類というのはそうした状況のなかにあって、宇宙を創造し今もなお運営しつづけている大元の意識エネルギーを宿した存在なんだよ。
そこには「ぼく」も「きみ」も、「あの人」も「その人」もいない。
ただすべてが統合調和された「わたくしたち」だけがあるんだ。
そうでありながら各自は『自らが自身の人生の創造主』として厳然と君臨している。
だからこそ『自身の人生におけるすべての責任は各自にある』『本来、人のせいなんてのはありはしない』という真理が成り立つんだ。
どんな人だって「不幸せになりたい」と思って生きてる人はいないでしょ。
にもかかわらず地球上では、結果として"不幸せの牢獄"に自らを閉じ込めて、溜息をつきながら生きてる人間だらけだ。
なんでそんなことになってしまったのか?
そこを冷静に見つめて俯瞰することで、各人が地球世界の完成に寄与できる生き方を見つけることが出来るんだよ。
バードアイズビューですべてを俯瞰するために
前にも言ったけど、俯瞰する意識視野を自分のものにするためには、意識を肉体よりも最低でも一次元上の波動圏に置く必要がある。
それは例えば、いつまでも自分の意識を三次元の大地に張り付かせていたなら、三次元の地球という惑星にある海洋や各大陸の全貌をなかなか俯瞰できないけど、地球を二次元の世界地図に落とし込んで見れば、一目瞭然にその全貌を把握できるようなことだといえる。
なんでそう言えるかっていうと、三次元にある自分の意識が二次元に展開された地球を俯瞰しているからだよ。
それに関連した話として、バードアイズビューで世界を見るためには、現在過去未来のすべてを『今この瞬間』に凝縮することだって話したでしょ。
その手順こそが、『意識を肉体よりも最低でも一次元上の波動圏に置く』秘訣なんだ。
その話をもう少し補足すると、自分も他人も、女性も男性も、老人も子どもも、敵も味方も、被害者も加害者も、生物も自然も、過去の出来事も未来に起こる可能性がある予測も、認識し得るすべての事柄を本当の今のなかに、まるでおにぎりを愛情込めて包み込むように、ギュッギュッギュッギュッギュッギュッギュッて握り込むといいんだよ。
きみの二元的発想で見えているすべての事柄を、最大限の真心を込めて『今ここ』に凝縮するんだ。
そしたら知らない間に意識が次元上昇して、ひとつ上の次元から自他や世界を俯瞰出来てる自分に変貌を遂げていた、ということになるんだよ。
ポイントは『知らない間に』というとこだ。
だから自分の認識を今この瞬間に溶け込ませたなら、それに執着しないでいったん忘れるのがいい。
そうすれば、いつの間にかすべてを俯瞰してる自分に必ずアップデートしてる時が来るから、安心して天命を信じながら日々の人事を尽くしていればいい。
でも、だいたいの人はやる前から怯んで「無理、駄目、出来ない」って、はなっから決め付けて諦めるんだな。
そんな想いを発する気持ちの余裕があるんだったら、ホントは『心のおにぎり』を気持ちを込めて作りつづけてるだけでいいんだけどね。
『今ここ』『真実の今』という認識は、きみの心の右手と左手を結んだときに顕れるもんなんだよ。
だから心を込めて手を合わせることがいいんだ。
(次回に続く)