管理人

    神性復興

    2025/3/28

    洗練された知的生命体に進化するために

    「人はなんのために生きているのか?」 こうした哲学的命題に突き当たることが出来たひとは、前世、そのまた前世といった、過去世の過去世の過去世から、真理を求めに求め続けてきた人なんだよ。 そういう人じゃなきゃ、生きてる間に、そんなこと思いもしないんだ。 横広がりの地上世界を見渡してごらん。 たくさんの人たちが感情の満足のために生きてるね。 多くの人たちがただ漠然と、習慣の想いに流されて、なんとなーく生きてるでしょ。 人間っていうのはね、本来は、洗練された知的生命体に進化するために生きているんだ。 『洗練された ...

    ショートメッセージ

    2025/3/15

    ほんとうの今を生きる

    ◎この世の現実として表れたすべての事象は過去である。 ◎真実の今は、瞬間瞬間の意識にあり。 ◎過去における地球人類の『瞬間瞬間の意識』の積み重ねが、今の現象・出来事の正体である。 ◎今この瞬間における地球人類の『瞬間瞬間の意識』の積み重ねが未来の運命を創ってゆく。 ◎同じこの世の現実に遭遇していながら、その後の運命が人それぞれなのはなぜか?それは、同じ現実の中にあって、「前向きに捉えて未来へ向けて歩を進めた」か、「後ろ向きに捉えてその場に踏みとどまった」かの違いである。 ◎他人の言葉に左右されず、テレビや ...

    神性復興

    2025/3/9

    『事実思考』と『印象思考』

    今日は、人間の思考の在り方について、少し掘り下げて考えてみよう。 神性に根ざした思考を『事実思考』と呼ぶとするでしょ。 そしたらそうじゃないほうの思考は、肉体こそが自分だと信じ込んだ『印象思考』と呼べるね。 後者は、主観の牢獄を自ら造り入り込んでしまってるところが特徴だ。 そのなかで感情想念主体の幻覚をつくり出し、そこに浸っている思考パターンだといえる。 そういう思考の仕方をするひとってのは、どこまで行っても事実をねじ曲げて見てしまってるんだ。 「自分はこう思う」とか『自分はどう感じる」ってとこで、すべて ...

    神性復興

    2025/3/8

    俯瞰の視座に常住するために

    印象ほど当てにならないものは無い。 だけど、地球の人たちは長い間の想念習慣から、一事が万事、印象の応酬で会話したり、すべてを片付けようとしているね。 「なんとなく」 この言葉ほど、心の目を曇らせるものはない。 また、「どうして?」って言葉も死語にする必要がある。 なんでかっていうと、「どうして?」っていう設問を投げかけられたひとは、「なんとなく」思い至った漠然とした記憶の印象を脳から引き出し、答えとして導き出そうとするからだよ。 印象の沼に浸って生きているということは、漠然とした主観でしかものごとを見れな ...

    神性復興

    2025/3/7

    共感力と気付きのセンサー

    ひとの話を聞いていろんな感想を思うでしょ。 「いいお話だったな」 「つまらない話だったな」 「この人、知識だけでしゃべってるな」 「この人はホンモノだ、ニセモノ」 「ちょっと身につまされるお話だったな」ってね。 でもね、そこでちょっと振り返って考えてみて。 他人の話を聞いて、「でもあれは、あくまでもあの方の考えや経験であって自分とは無関係だ」って無意識に思ってしまってて、いつまでも自分の身に行ない現わさないでいるとしたら、それはその話を聞く分だけ、時間を無駄遣いした行為だといえるんだよ。 大事なことは、い ...

    神性復興

    2025/3/6

    いのちを完全燃焼しよう

    ああでもない、こうでもない。 何は好きだ、何は嫌いだ。 何が正しい、何が正しくない。 それらの想いはみんな、いのちの光が完全燃焼してない状態で表われた心の動きだね。 即ちそれらは、くすぶった想いの動きであり、カルマ想念の波動だといえる。 そうした心の中にある想いのくすぶりを、そのままに放置してたらどうなると思う? 心が一酸化中毒になるでしょ。 それがこの世の中における地球人間たちの”苦悩の正体”なんだよ。 だから、いのちを完全燃焼させて生きるのが尊いんだ。 「案ずるよりも産むが易し」ってあるでしょ。 悩む ...

    神性復興

    2025/3/4

    ホンモノの自分軸とは?

    きみは、「あの人みたいに生きたい」と周りの人が思わずにいられないような、そんな自分育てをしているかい? でもそれは、周囲の目を気にして「自分は正しく生きているだろうか」と、オドオドした心境なんかじゃない。 何ごと・何ものにも左右されない、ホンモノの自分軸をもって生きることだ。 そんなふうに生きていれば、自然に生命本然の自分軸を生きられるんだ。 真の自分軸が心の中に確立されると、人は誰のどんな反応にも心が揺れ動かなくなるものでしょ。 他人の目を気にして、ありのままの自分を押し隠す必要もないね。 それは、"あ ...