(前回の続き)
俯瞰する意識視野に至る最適な時旬
心の開拓が進んでくると、"事実に反応する『肉体に張り付いた感情』"が薄くなってきて、その代わりに"一切の事実を俯瞰する『宇宙に直結した意識』"が少しずつ甦ってくる。
「早く真我に還りたい」と一朝一夕な自己変革を望む人がいるけど、人生というのは『長き道を歩むが如し』で、うまい話なんてのは無いんだよ。
一回の人生というのは、幼年期・少年期・青年期・中年期・壮年期・老年期と、様々な年代を経験しつつ"生まれてきた目的"を果たすようにできている。
そのなかで誰も彼もが意識するとしないとに関わらず、魂の統合調和ヘの道程を歩んでいる。
俯瞰する意識視野に興味を抱いた今のきみの年齢がどの年代だとしても、あらゆる過去世と今世のすべての年代にあった事実を一目瞭然に客観視するのに、早すぎることも遅すぎることもないんだよ。
きみの意識が真理に真向かったそのときこそが最適な時旬なんだ。
多くの人が今生の努力精進だけで、何かを成し遂げたり願いが叶ったりすると思っている。
けど、人間の年齢というのは『肉体年齢プラス魂年齢』で決まるものだから、若い年代に花開く人と老年期になって花開く人がいるのはむべなるかなだといえる。
また、前に話したように人間の魂は七つの心が渾然一体となって成立するもんなんだ。
そういう意味で、自分が自分だと思い込んできた自分は本当の自分じゃあないんだから、一歩引いて事実だけを観てほしい。
ここでホントに押さえてほしいことは、今言ったようなわけだから、自分と他人を引き比べて上だとか下だとか、早いとか遅いとかの比較ジャッジを下すのは無意味だということだよ。
最適な時旬が来たきみへ
今意識進化に最適な時旬が来て、俯瞰する意識視野領域の扉が目の前にあると直観したなら、気が急いて早く扉のなかに入ろうと思いドアノブに手をかける前に、是非きみにお勧めしたいことがある。
それは、今すぐにでも一切合切を俯瞰しようとするんじゃあなくって、年々・月々・日々・時々・分々・秒々・瞬々というように、すべての過去と未来をギュッギュッギュッギュッギュッギュッギュッと、今この瞬間に凝縮することだよ。
これはとても大切なプロセスで、それなくしては次元の奥行きをも含めたバードアイズビューを身に修めることが出来ないんだ。
逆にいえば、正しくその手順を踏んで『俯瞰する意識視野領域の扉』を開ければ、平面的な今生の人生のみならず、幾つかの霊系統を含むすべての過去世の記憶と、地球へ来る前に他の星々で様々に活躍していた神霊意識とが、同時に手のひらの上のものを観るように俯瞰できるようになるんだよ。
アセンションした意識が当然認識になった状態というのは、心身の次元における外面も内面も、時間的な未来も過去も、すべてが一瞬にして掌握出来る意識のことをいうんだ。
それが分かるというのは、きみが古い旧い魂、『いのちの老人』だからだよ。
いのちの老人たちは、ありとあらゆる経験・体験…、嬉しいことも悲しいことも、楽しいことも腹立たしいことも、被害者だったことも加害者だったことも、女性の人生も男性の人生も、裕福な経験も貧乏な経験も、太った人も痩せた人も、短命だった人生も長寿だった人生も、酸いも甘いも、すべてのExperienceを味わい尽くしてきた。
だからいろんな人の様々な想念言動行為を色眼鏡で見ずに、事実関係だけを冷静に見て取れるわけ。
「自分にはまだ分かんないな」と思ったとしても大丈夫、なんの問題もないよ。
そんなの早いか遅いかなんて、宇宙から観たら五十歩百歩だし、永遠の生命の観点に立てば憂いを抱く理由にもならないんだよ。
だから、有りのままの自分を赦し愛しながら、在るがままに至るプロセスを楽しんでね。
(おわり)