(前回の続き)
地球人類が手に負えないでいた苦悩の正体
何よりもまず、何事にも先駆けてやるべきことは、人に感じた想いを自分に向け直して、自分のこととして観ることだ。
この話は、それ以上に大事なことはないというくらいに超重要なことなの。
現在、地球上に生きてる99%以上の人は、なんらかの生老病死の苦悩をかかえて生きてるでしょ。
それはただの事実であって、それ以上でも以下でもない。ましてや感情想念と混同して、いいだの悪いだの思う必要もない。
地球人類が手に負えないでいた苦悩を紐解いてみれば、その正体は大別して「病気」と「経済」と「人間関係」がその三大要因だね。
そのなかでも多くの人類の一番の悩みは人間関係だ。
もし地上から人間関係の悩みがすべて消えたら自殺する人の数が激減するだろう。
そのくらいに地上の人たちは、自分と他人の関係性のなかで悶々とした想いを溜め込んで、それをくすぶらせながら生きている。
有史以来、かなり永い年月が過ぎてるのに、どうして人間たちはその問題を相も変わらず解決出来ないでいるんだと思う?
それは、この肉体こそが自分で、肉眼に見える他の人は自分とはまったく別の個体だと思い込んでしまってるからだよ。
個人の間でさえそうなんだから、組織や国の単位になったら、もっと抜き差しならないことになってる。
ウクライナに攻め込んでるロシアなんかいい例でしょ。
世界中に有識者や政治家など、権威や権力を持った人がたくさん居るにもかかわらず、誰もあの状態を収めることが出来ないでいるじゃないか。
それはみんながみんな、自分と他人を別人と見て、善悪正邪の剣と盾で自他を分離させる愚(ジャッジメント)を繰り返してるからだよ。
他人に感じる想いは鏡に映った自らの姿
実際には、他人というのは自分の映し鏡なんだ。もっと明確にいえば、他人に感じる想いというのが、鏡に自分自身を映し出して見てる姿なんだ。
普段あんまり鏡を見ない人でも、朝のお出かけ前とか、お風呂に入るときなんかには、自分の姿を鏡に映してみるでしょ。
そのとき鏡に映って見えてるのは、当たり前だけど自分の姿でしょ。
それとおんなじように、他人に感じる想いっていうのは、自分の心の姿なんだ。
他の人に感じた何かは自分のなかに原因のあることで、自分のなかに種がないことは思いようもないんだよ。
その事実を包み隠さないで見つめるんだ。
他人に何かを思うということは、原因が自分のなかにあるってことだから、気が付けないけどもホントは身に覚えのあることなんだよ。
それを改めて見せてくれ、気付かせてくれるのが、他人に感じていあわるいろんな想いなんだ。
本当の意味での内観をしてゆけば、きみは自分自身の奥に、実に多種多様な未成仏想念が隠れてたかを知ってビックリするだろう。
それが出来るようになるために必要なのが、いつも言ってるユッタリとした呼吸なんだよ。(次回に続く)