痛みを敵視してはいけないよ。
なぜならそれは、正常な生存状態を維持するために、宇宙がぼくたちに与えてくださった補完機能だからだよ。
例えば、足をひねって足首を骨折したとして、痛みがなかったら骨折した事実に気がつけないでしょ。
それは、心の痛みもおんなじだ。
多くの地球人は、心に苦悩が生じたら苦悩そのものとして振る舞っちゃって、苦悩を手放そうとしないでしょ。
でも心に痛みを感じるってことは、肉体の痛みと同様に、いのちが心を清浄な意識状態に保ちつづけるために、「調整すべき不調和な状態があるよ」って、教えてくれてることなんだ。
だから、「痛みを敵視してはいけないよ」っていうんだ。
きみが個我という想念の固形物を宇宙に解き放って、すべてを受け入れる心で生きるとき、すべての事象も感情もきみの幸福を後押しする味方になる。
心と体の痛みに悩む人たちが多いから、今回は「痛みを敵視してはいけないよ」って話したけど、きみが生命の真実に沿って生きるなら、ありとあらゆる存在がきみの味方にる。
いいかい。
忘れないで。
すべての原因はきみにある。
見るもの、聞くこと、触れるモノ、味わい嗅ぐすべてのもの、そして、五感を越えたところで感じることのすべてが、きみの想いによって定義されているんだよ。
人生の意義ってのは、その想いを超えて生命の根源と一体になるところにあるんだ。
人は誰もがいつかは、自らの主観を越え、メタ認知という客観視の段階を通って、神聖領域にある俯瞰の視座に帰ってくもんだ。
それを嫌だと思う人は、「人間という存在が、個別の存在意識を経て、いつかは宇宙の大元に帰一すべき生命体なんだ」ってことを自覚する日が来るまで、苦悩の底なし沼に見える現実を生きつづけなくちゃいけない。
ほとんどの地球人が、今もその段階なんだ。
きみが生命の真実を思い出して、自らを光の存在と自覚して生きるなら、きみは痛みも苦しみも味方にして生きる神性人類に還元するだろう。
ぼくたちは、誰もが調和して生きる地球になることを、ただただ願い、宣(の)り出すのみ。