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Voice of brothers 294 もしも今が思い画いた未来ではなく、けれども希望の光は弱まることなく、以前にも増して心の空に輝きつづけている人へ(前編)

★ 運命と意識

今日は個人の運命創造に主眼を置いた話をしよう。

もしも今が思い画いた未来ではなく、けれども希望の光は弱まることなく、以前にも増して煌々と心の空に輝きつづけているなら、きみは呼吸の長さと意識の使い方を変えるだけで、思い画いた確かな未来を現実の世界に展開することが出来るんだよ。

希望を持って生きることや、誰よりも先に自身を認める自己肯定が大切なことくらい、誰に教わらなくたってわかるでしょ。

でもきみたちの世界を見渡すと、希望を持ってるにもかかわらず、思い画く未来を確かに築きあげることの出来る人と出来ない人がいたり、自己肯定してる人としてない人がいたりしてるのは、どうしてだと思う?

このことは、人生を有意義なものにするために、とても大切なことでありながら、完全に意識から抜け落ちてしまって、曖昧に放置して生きてる人が案外多いんだよ。

思い通りに生きられない境界にある人の場合、想念が生命意識(神性)と離れてたり、自己肯定する認識の角度を間違えてたりして、自分をかばったり、負け惜しみで己をプロテクトしたりして、在るべき生き方に背中を向けたまんま、相も変わらず思い通りにならない日常を繰り返しているんだ。

そういう人たちを観ていると、時旬が至らないためとはいえ、実にもったいない時間の使い方をしている。

そもそも希望をいだけない人は、未来に希望をいだくとこから始めなきゃ話にならないけど、希望をいだいてながらそれを現実化出来ない人には、そう出来ないなりの理由というか原因があるんだな。

それで、その原因を自分で見つけて、「ああ、そういうことか。〇〇すればよかったんだぁ」って気付くことが出来たなら、誰もがそれまでの堂々めぐりを卒業して、創造的人生にシフトしてゆくことが出来るんだよ。

細かく観れば、気付きを得なければならない内容は人それぞれ千差万別だけど、大きな傾向から観れば、意識を発する角度と次元が正しくないといえるんだ。

「また抽象的なこと言い始めたな」と思う人のために説明すると、意識を発する角度というのは、思い画いた内容の成就へ向けた想念の種類・傾向のことで、ザックリ言えば、「ダメかも知れない」と思いながら発するか、「必ずやり遂げてみせる」とか「やってやれないことはない」とか思いながら意識を活用するかそうしないかの違いだよ。

それで、意識を発する次元というのは、おおざっぱに分けて言えば、肉体に張り付いた二元対立的な思考であるか、二元対立を超越した生命本源につながった思考であるかといえるね。

たとえば、さっき言った自己肯定にしても、肉体に張り付いた想いで、自分の過ちや弱さをかばう自己肯定と、神性に根ざしながら、自分の奥に内在している無限なる可能性を認めて、生命の全知全能性を発揮する方向に進んでいる自分を肯定する自己肯定は明らかに違うんだよ。

わかる?

そうだなぁ……、きみたちにもわかる”意識の角度と次元”を表す言葉には何があるかなぁ。

ああ、そうだ、マインドセットだ。

意識を発するうえでの在るべき角度と次元というのは、言ってみればこのマインドセットに該当するといえる。

マインドセットをひもとけば、「過去の経験や教育、先入観、暗黙の了解事項、思い込みや信念、価値観などから形成される思考様式、心理状態のこと」とあるでしょ。

ぼくたちはそれらを集約して簡単に、「”意識に根付いた想念習慣”を神性意識で上書き保存することが大切だよ」って話している。

思い通りに生きられない状態というのは、想念習慣が思い通りに生きることを妨げてる状態なんだ。

そのような場合を指して、「意識を発する角度と次元が正しくない」って言うんだよ。

認めたくない人もいるかも知れないけどね。(次回に続く)