スポンサーリンク

Voice of brothers 410 幸不幸を分け隔てするもの

★自身の認識が分け隔てする幸不幸

“誰かが自分に何かをした”と思うようなときに、たいていの場合、人は受け身の認識で「誰々に○○された」「誰々が○○した」と思っている。

けれどそれは、ごく浅い意識レベルに想いがとどまってしまっているということに、そろそろすべて地球人類が気が付かなければいけないよ。

それはどういうことかというと、自分がどう受け止めたかという能動的な認識に欠けていて、いつも誰かや何かのせいにばかりしている精神状態なんだ。

きみが自己の生命権能を他に譲らなければ、他人が思うことや言動行為したことなどは、きみになんら一切の影響を与えないものなんだよ。

認識ってのは、あくまでも自発的にしているものであって、誰かがきみに何かを思わせているわけじゃあないんだよ。

真実を言えば、「誰が何をした」なんてのは、その人がそう思っているだけで、そんな事実は何処にもないんだ。

同等の環境下でおんなじ状況を複数の人が経験した場合などに、その受け止め方が十人十色なことがあるでしょ。

例えば、同じ親の下に生まれた双子の兄弟がいて、おんなじ育てられ方をしていながら、片方は物心ついたときに、親の愛情が心に満タンでスクスクと育ち、もう片方は親の愛情が足りないと思い泣きぐずることが多いというような場合、親は分け隔てなく平等に育てたつもりだったのに、実際にはそのような性質の違いが生じるのはどうしてだと思う?

★きみが大人であるならば

一言で片付けてしまえば、その子たちの受け止め方だよ。

愛情が足りないと思ってしまったほうの子の想いの動きをよーく観察してみると、過去に親に叱られた幾つもの記憶に想いが引っかかってしまって、その記憶を基にして「自分は愛されてないからだ」って思い込んでしまったからなんだ。

対してもう片方の子は、おんなじように叱られた経験があるにもかかわらず、そのような想いにさいなまれていないのは、叱られた記憶に引っかかっていないからで、親の愛情からくる叱責を受けてもケロッとして、いのちスクスクと成長しているといえるんだ。

そのように、年端もいかない子どもならまだしも、いい年をした大人が過去の記憶に引っかかってネガティブ思考のアリ地獄を登っては落ちしてるなんてのは、あまりいただけない話でしょ。

とは言っても、そういう大人が多いのもまた事実だ。

だから、健やかな運命創造を行うための意識の用い方について、人は各々思索を深めなければいけない。

人を幸不幸に分け隔てしてるのは、ほかでもない当人たちの想いの動きなのだからね。