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Voice of brothers 541 あるおとこのじんせい(後編)

 前の同名記事

Voice of brothers 540 あるおとこのじんせい(前編)
★ある男の人生に学ぶ 今日はある男の人の人生を、昔話ふうに話そう。 それはきっと、きみ自身の気付きを促してくれて、きみが自身を赦し愛して、いのちの光と一体化する助けになるだろう。 【むかーしむかし、あるところに、せいぎかんをえ...

(前回の続き)

★生まれ変わった男

そうおもえたせつな、かれのやまいはきえさって、けんこうなからだをとりもどすことができました。

そのゆめはそこでおわりました。

ゆめからさめたかれは、ふとんからおきあがって、ここうのいただきからまちにかえりました。

まちでは、あいかわらずひとびとが、じぶんかってなそうねんげんどうこういにふけっていました。

しかし、かれのこころには、なんらいっさいのひはんもひなんのおもいもわきあがりませんでした。

かれのこころには、けんぶんするせかいのすべてが、じぶんのいしきでできているしんじつがしっかりとねづいていました。

そして、ゆるしていなかったのは、たにんではなくじぶんじしんだったことが、てのひらのうえのできごとのようにりかいできていました。

かれは、じぶんをゆるせないおもいを、いつのまにかてばなしていたのでした。

ですからかれは、たにんのどんなすがたをみても、どんなげんどうこういをみても、それらにたいして、なにひとつのひょうかのおもいもわきおこってこないのでした。

かれのこころにあるのは、じぶんのいのちにたいするけいけんなかんしゃのきもちだけでした。

それは、かれをいかしているすべてのそんざいにたいするかんしゃだけだともいえました。

かれはすべてのそんざいのないおうに、いのちそのもののじぶんじしんをみいだしていました。

そんなかれのもとには、ひとりまたひとりと、かれをしたうひとびとがつどいはじめていました。

★本物の愛の人になるために

この話には続きがあるんだけど、それはまたの機会にしよう。

きみは、この話を自分自身に移(映)し替えてみて、自分のなかにどんな自分を見出しただろうか?

見聞する世界をどう観るかは、ひとえにひとりひとりの認識の仕方にかかっているって、いつも話すでしょ。

この原理が紐解ければ、誰でも本当の幸せを掴むことが出来るんだよ。

そしてそれは、今の時代が一番それを実現しやすいときだといえる。

なぜなら、地球界が全体的に霊化してきていて、生命の真実や真理に入り込みやすくなっているからだ。

きみがきみの奥にその事実を認めたとき、きみの見る世界はまるで違って見えるだろう。

もしそれを試行してみて、そうならないなら、それは取り組み方の立ち位置と発する意識の角度を間違えているのだから、呼吸を一段と深くして、魂をいのちの奥に入れ込んで閃きを得なおすといい。

なんでもかんでも、努力もなしに手に入れられるだなんてことは、ゆめゆめ思わないことだよ。

いのちをかけて真剣に取り組んでこそ、あらゆる角度から人は磨かれ、より本物の神人になってゆく。

とくに、デジタル機器を扱うのが当たり前になってる人は要注意だよ。

魂の実力というのは、簡単にコピペするように手に入れられるものじゃあないのに、それができると思い込んでる場合には、思いもかけない遠回りをすることになる。

真理は自分のいのちの中心奥から引き出すことだよ。

それは、安易に他人に頼って手に入れられるもんじゃない。

そのことを肝に銘じて、五感、六感、七感を十全に働かせるんだよ。

そうすれば、あらゆる疑問が解消されて、苦悩は霧散し、感謝一念の愛の人に生まれ変われるのだからね。(終わり)

 

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