アセンションの真実
アセンションだとか次元上昇だとかいう言葉の本質的な意味は、その星固有の物質波動と精神波動に宇宙心の精妙な響きを反映させてゆくことをいうんだよ。
それをする主役は、もちろんその星の人間たちだ。
"万物の霊長 "って言葉があるでしょ。
人類ってのは、その惑星を開拓する使命を持つ生物なんだ。
だからアセンションというのは、その星の人類が長いトンネル掘りの年月をとおして、霊的に魂を分体しながら自らの子孫を派生させつつ、いのちの光が本来持っている七つの根源色を統合調和させてゆくことだともいえるね。
肉体に張り付いて「この身体こそが私だ」「私とあなたは別人よ」って思い込んでる想念は、自分の魂がどういう遍歴を経て今ここに存在してるのかを知ることが出来ない。
だけど肉体の奥にある幽眼や霊眼のさらに奥にある神眼を用いて俯瞰すると、自分たちの魂を構成する霊系統の全貌を直覚的に把握出来るようになる。
「あなたは出来るでしょうけど、私には無理よ」だなんて諦めないでね。
神眼はすべての人類にもともと標準装備されているんだ。
ただ、今はまだ生命の真実を思い出し切れてないから、この奥の眼が見開かれてないだけで、近い将来、必ずその真眼で自己の内外に世界の本質たる『神聖の展開』を見ることが出来るようになるんだよ。
本質を認識するマインドセット
そこで大切になってくるのが、見えも聞こえもしない、触ることさえも出来ない神性の響きを、今の意識レベルで感知出来るようにするための日々の練習だ。
まずその練習を始める前に、シッカリと自覚すべき思考態度がある。
それは、すべての現れに神性が内在しているという自覚だ。
それを当然認識するためのさらに基本的な認識は、「私はもともと神性の存在である」という自己認識だよ。
それ無くして、すべての現れに神性を認めることは出来ない。
どうしてかっていうと、人類が現象世界に映し出して見ているのは、自らの内なる宇宙に存在を認めてるものだけだからだよ。
よくこう言われるでしょ。
「人は、その人のフィルターを通して世界を見ている」「色眼鏡でものを見てはいけない」って。
その心は、「人類が現象世界に映し出して見ているのは、自らの内なる宇宙に存在を認めてるものだけだから」だ。
人は誰でも、その人があると思ってるものだけしか見ることが出来ない。
神性が在ると思えない人は、神性に充ち満ちた宇宙空間のなかに生きながらでも、それを感知することが出来ないんだ。
「嗚呼、この世界は嫌なもんだ」「なんて人間っての醜い生き物だろう」「みんなが身勝手に生きてる世界だから、私も私と大切なものを守らなきゃ」だなんて、妄想でこしらえた世界のなかで自分の首を絞めながら、どす黒い想念の雲を撒き散らしてる状態だからね。
逆に「神性はある。見えも聞こえもしないけど確かにある。」って思える人は、不完全に見える現れの奥に、完全性の実在を観ることが出来る。
でも練習しなくちゃそうは思えないから、すべてに神性を観る練習が必要なんだよ、そのためにはまずはじめに、自分自身の神性を当然認識にすることが大切なんだよっていうんだ。
(次回に続く)