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Voice of brothers 529 真理を身に修めるために(前編)

★旧い自分を潔く脱ぎ捨てよう

こと真理に関しては、わからないことがわかるようになるかならないかの分かれ道は、「外からの情報を心奥なかに落とし込んで、内から湧き上がってくる情報に変換して受け取れるか受け取れないか」だといえるね。

今までの肉体人間の常識では、すべての外側からの情報を、「外に見聞するものすべてが自分とはまるで別個な存在だ」っていう認識の元に受け止められてきたから、多くの人が自分の腑に落として、なかから湧き上がる内容として理解することができなかった。

こういう話だって、過去の旧い人間観、生命観に固執した意識で受け止めようとすると、ちんぷんかんぷんでわからないでしょ。

だからまず一番はじめに、本当の自分が何者かを知らなければならないっていうんだ。

ぼくたちがいつも話してきたことのなかに、「きみたちが、自分で自分だと思っている自分というのは、本当の自分ではなかったんだよ」って話があるでしょ。

その本当の自分ではない意識で、生命の真実を知ろうとすることが、どんだけ無駄な努力かがわからないから、同じところを堂々巡りしてるんだけど、潔く過去の価値観を捨てて、生命の真実の中に素直に飛び込んでしまいさえすれば、過ぎ去ってみればそれは、実は大したことではなかったことがわかるんだ。

過去の自分を捨てきれない意識の側に立つ人が、本当の自分を知ろうと思うなら、人間とは一体何者かという、生命の命題を避けて通ってはいけないよ。

いけないっていうか、そこを避けて本当の自分を知ることは絶対にできないからそのつもりでね。

★本当の真理とは

真理というのは、自分の中から気付きや閃きの形で、第一直観として湧き上がったきたものこそが、本当の真理だといえるんだよ。

「わからないことは他人に聞けばいい」という意識でいる人は、その内からの直観を見逃しているかぎりは、どんなに他人ひとから本当のことを聞いてもわからない。

念のためにいうとこの話は、浅い世界のこの世的なわからないことを知ろうとすることとは、まったく異なる話だからそのつもりでね。

例えば、映画館に行こうと思って街に出たけど、映画館がどこにあるかわからないというような場合に、「映画館へはどうやって行けばよいでしょうか?」って、他人に聞くのとはまったく異質な話だということだよ。

真理ってのは、生命の本質に関することでしょ。

その生命の本質というのは、誰もの心の奥にある世界なんだ。

その心の奥にある世界の話を、他人からいくら聞いてみたところで、自分の内側にそれを感じて、「ああ、そうかぁ、こういうことだったんだ」って実感を伴わなければ、他人から聞いた話というのは、あくまでも”知識”にとどまってしまって、自分自身の真実にならないんだ。

だから、他人から学ぼうとする真理は、シッカリと自分の腑に落として、内なる気付きや閃きとして直覚しなければいけないっていうわけ。(次回に続く)