今日は地球界に蔓延る『神』という言葉についての概念を、根本からくつがえすための振り返り、再確認をしようね。
多くの地球人が考える神ってのは、「天にまします我らの父よ」みたいな、自分たち人間とはまったく別ものの、天のはるか彼方に御座す、尊顔を拝すことさえ思いも及ばないような、すべてを創ったお方、宇宙の創造主ってイメージだったでしょ。
それも間違いではないんだけど、それは一面しか見てない概念なんだよ。
それだけじゃあ、神のすべての面を見てないんだ。
多くの地球の人たちは、そのほかの面をまるで無いかのように勘違いしてるでしょ。
「じゃあそのほかの面はなんなのさ」って?
うん、きみたちひとりひとりだよ。
地球人類ひとりひとりが、宇宙を創造した中心意識を魂の奥に宿した神の子どもたちなんだ。
おんなじようなことを言ってる地球人がいることも知ってる。
同じことを思って生きてる人たちがいることも知っている。
だけど、まだまだ人数が足りないんだ。
地球が他の星と交流できるような世界になるためには、せめて10万人くらい、最低でも自らに神性を自覚してそれを顕わして生きる人が1万人は必要だ。
それは、知識として知ればいいわけじゃあないんだよ。
自分の心に行き来する想いや、口から発する言葉や、行ないや態度なんかに、実際に神性を顕わして生きている人の数を指して言ってるんだ。
今はまだ全然足りない。
だけど、これから地球の人たちは大きな意識の目覚めを体験することになる。
どんな人も「わたしたちが神だったんだ」って、生命の本質に目覚めるときが来るんだよ。
そのような世界へ至るように、地球人類の意識を引っ張っていってるのがきみたちなんだよ。
きみたちは、寝ても覚めても世界の平和を願ってるでしょ。
神聖復活の印を組んでいるでしょ。
自然と生物のあらゆる存在に、人類を代表して感謝を捧げつづけているでしょ。
それによってきみたちは、きみたちも知らないところで地球の人たちの心の中に、神性の種蒔きをしているんだ。
それだけじゃあないよ。
きみたちは、その種が育つための大地になり、水や栄養分ともなり、太陽の働きをもしてるんだ。
それこそが、祈りが持つ崇高な力だ。
念力とはまったく違う。
念力ってのは、自分のためとか、自分のグループのためとか、エゴから発するものでしょ。
その力を使った人たちは、それがことごとく自分に返ってきて、しっぺ返しを受けてるね。
念力ってのは、二元対立の波動だからね。
きみたちの祈りはまったく違う。
私心が無い。自我が無い。エゴがそこに無いでしょ。
きみたちの意識から発する響きは、宇宙を創造した中心意識にかぎりなく近い響き ー 万物を活かすエネルギーだ。
ほんとうは、全部の地球人がその力を持ってるんだよ。
その事実が、ほんとうに地球全体に広まるときが近づいている。
誰かを変えようと画策しなくていい。
唯々、自らの意識を神性にチューニングして生きること、それだけだよ。
昨日の神は、宗教者たちが人類を愚か者のままにしておくために、神の一面だけ教えてた神だったんだ。
今日の神は、人類みんなが等しく神であるという概念だ。
自然の中にも生物の中にも神性があって、神性なくして存在するものはないという万物神性の概念だ。
そして人類は、宇宙を創造した中心意識の分身として、それぞれの置かれた場で、自らのミッションを果たしゆくものなんだよ。
その自覚を今年こそ、しっかりと自分のものにして、押しも押されぬ神性人類として生きてゆこうね。