(前回の続き)習慣性の想いからすれば、そういうときには何か他のせいにして、自分を正当化したいとこだと思うけど、結局のところは、他の誰のせいでもありゃしないんだよ。 苦しみというのは全部、自分がいのちの光を発揮し切れてないことによる生きづらさであって、その原因はみんな自分がこしらえたものなんだよ。 言葉を変えれば、自分が真理を表し切れないでいる状態であり、真理と肉体想念のズレから来ている心地悪さなんだよ。 このことがわかれば、どんだけ生きることが楽になるか計り知れないのに、多くの地球人は、自分の苦しみの原因 ...