★「みこと」として生きる時旬が来た
日本武尊とか、 瓊瓊杵尊 とか、大国主命とか、「尊」や「命」の言葉を当てて、「みこと」という言葉を名前の最後に加える呼び方があるでしょ。
表現する言葉は、言霊の真義さえ掴んでいれば、「尊」でも「命」でもどっちでもいいけど、これからのきみたちは、この「みこと」が名前の後ろについた存在になってゆくんだよ。
そう、例えば、「山田太郎命」っていうふうにね。
この「みこと」の響きに含まれる本質的な意味を把握しておくことは、これから地球人が生命の本質を発揮して生きてゆくうえでとても有用だから、今日はこの「みこと」の響きについても少し触れておこう。
「みこと」というのは、いのちを肉体に修めて、天の心を地に立脚させてる人のことを言うんだよ。
簡単に言えば、肉体を持った神、神人であるということなんだな。
「21世紀の人類全員の急務は、魂の自立を確立することだ」って、話したことがあるでしょ。
その『魂の自立した状態』こそが、この「みこと」たる神人たちの在り方なんだ。
頭は神界にあって、神の眼で宇宙を見渡し、足は肉体の地上界の大地を十本の足指でシッカリと掴み踏みしめ、天地を貫き生きている。
そんな人になることを目指すことだよ。
★本当の始まりに向けて
ホントのことを言えば、目指すも目指さないもなく、太初っからそう在るのが人類生命の真実なんだけど、肉体界で輪廻転生を繰り返した地球人類たちは、そういう本質的な自分たちの在り方を、いつしか忘れてしまってたんだね。
でももうそれも終わりだ。
誰もがいのちの本質を思い出す時旬が来たからだよ。
今、きみたちの意識は急速に生命の本来性を思い出して、みずからの心と身体にいのちの真実を顕現しようとしている。
みんながみんな、好むと好まざるとにかかわらず、思いのままに人生を創造している事実が見て取れるようになってくるから、わざわざ好き好んで不幸や苦悩を創造するような"認識"をする人が少なくなってくるんだ。
そうした方向性の先にこそ、「みこと」としての生き方が展開してゆくんだよ。
そういえば地球の歴史における太古の昔、きみが初めて金星から地球に来たときの統率者は、始めに話した瓊瓊杵尊 だったね。
そうしたことも、「みこと」の本質に近付いてゆけばゆくほど、まるで昨日のことのように思い出されて、「ああ、私は地球界を開発する使命を帯びてこの星に移住してきた宇宙人だったんだな」って思い出されるときが来るんだよ。
さあ、いよいよだ。
本当の始まりのときが近付いている。
きみたちが展開している神聖復活の波動はいと静かに、だけど急速に、きみたち自身のすべてを更生して甦らせ、新たなる神霊文明の時代を切り開く本当の天命が花開くだろう。