(前回の続き)
★神域の視座を身に修むために
神性認識を運用するための基本
それで、神域の視座を身に修めるための前提条件は、本来性の『神性意識』と、『分離した認識と対立観念』が常識になってしまっている過去の記憶に基づいた『肉体性の想念』を、截然と識別して見分けする認識力(理性と知性に基づいたものごとの真贋を見極める力)を、わざわざ思い出すまでもなく自分自身がそうあるように、きみ自身のものとすることだよ。
「思い出さずに忘れずに」って言葉があるでしょ。
「ホッペタがアゴの上にあるのは当たり前だ」って、見るまでもなく誰でもわかっているでしょ。
そのように、『神性意識』と『肉体性想念』の違いがわかる認識力を持つことが、神性意識を肉体の心身に運用するための大切な基本認識なんだよ。
だけど地球上の多くの人たちは、ホッペタが自分の顔にある(自分たちが神性の存在であること)ことさえも忘れてしまう程に、心眼が盲いて、自分が本当は何者だったかさえも忘れ果ててしまった。
それでまず最初に、鏡に自分の顔を映してみるように瞑想統一をして、自分が自分だと認識している自身(自神)の心の姿を認識して観ることがいいんだよ。
それが仏教的にいえば、座禅観法のような行法なんだね。
それは、本来の自分に還元するための行なのだよ。
霊能力や超常能力を得ようとして、そうした行をする人を時折見かけるけど、そういうのは邪道であって、意識進化にはなんの役にも立たないから、その違いは截然と認識してね。
何ごとも基本認識、心構え、マインドセットが重要で、それがとりもなおさず心の正しい姿勢になって、それがあって初めて自分自身を正しく導くことができるんだ。
それで話を戻すと、鏡を見れば、「ああ、ホッペタがここにある、ああ、アゴもあるな、耳が両脇に付いているな、目の上には眉毛があるんだな、髪の毛はこういうふうに頭に生えてるんだな、鼻や口はこういうふうになっていて、目はこういう形をしているんだな」ってわかるでしょ。
それと同じように、瞑想統一をして内観をすることによって、自分自身の本当の姿がわかるようになってくるんだよ。(次回に続く)