Voice of brothers 170 神域の視座を身に修めるために (5)

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(前回の続き)

神性認識を運用する第一段階

さっき話した瞑想による内観は、一人でゆっくり自分と向き合える時間と環境のなかで行うものだけど、現代社会のなかで働きながら生きてるほとんどの人は、そんな時間はたくさん持てないし、みんながみんな瞑想ばかりしていたら社会が成り立たないね。

そこで今度は、日常生活のなかでできること、仕事をしていたり、家族と過ごしていたりするなかでできる【神性認識を運用する第一段階】について話そう。

それは、ふだん何気なく脳裏をよぎる習慣性の想念を、光明の思考に徹底するように、意識的に光明の言葉を発しつづけることだよ。

まず、誰とも話したり聞いたりしていないときだけど、そのような時間のときには、深い呼吸とともに光明の祈り言葉を心のなかで唱えつづけているのがいいね。

それで、誰かと会話してるときなんかの場合には、もしも神性から外れた想いが脳裏に表れたときに、心のなかで、すかさず光明の言葉で上書き保存して、天に還元することだよ。

この場合の天っていうのは、何処か遠く離れた上空の彼方じゃなくって、自分の意識の根底に在るいのちの光意識のことだよ。

また、この神性意識に徹する行法は、一人でいるときにも同じように使えるから、意識が肉体にある間中(起きてる間中)やるといいね。(周りに誰もいないときには、心のなかじゃなくて、声に出すほうが効果的)

そうしているうちに自然と、何気なく発する想念が光明の想念になって来て、無理無理そうしようと頑張らなくても、いつの間にか光明思想の人になることができて、運命が思い通り以上にうまくいって、幸せ以外の何ものも感じられない、幸せそのものの人生を画き現すことができるようになるんだよ。

それは、誰かに頼んでそうしてもらった境界じゃあなく、自分自身の意識運用によって創造した運命だから、想いが神域を外れなければ、その幸せが崩れ去ることがないんだ。

それともう一つ言えることは、その意識境界というのは、良い悪い、幸せ不幸せ、健康不健康、金持ち貧乏というような、二元対立的な意識境界を超越した神域の境界だから、これまでのように、誰かの言動で自分が左右されて、悪感情をもよおしたり、右往左往して迷い悩むことがない。

だから、この第一段階の意識境界を自分のものにすれば、何があってももろく崩れ落ちるようなやわな運命じゃない、絶対幸福の道を歩みつづけることができるんだよ。

その境地にある人たちは、自分の身に何事か起こっても、けっしてその非を他に責任転嫁しないから、感情想念が乱れるということがないんだ。

まずは、その境地の心境を自分のものにできるように、みずからを導いてほしい。(意識を意識的に運用すること)

そこまでゆけば、後はその応用でしかないから、それまでの歩みよりも数等倍の速度で意識進化してゆけるからね。(次回に続く)