(前回の続き)
物質次元の範疇を超越した意識進化を成就するために
違う例でいえば、信じる宗教や信条の違いによって、民族や国家が反目し合ってようなことがある。
そこに、無宗教者の論点がからんでくると、肉体人間の頭で考えたなら、何が真実で何が嘘なのかが皆目分からなくなってくる人たちが出てくる。
世の宗教信仰者たちは、自分たちの宗教こそが世界を救うものだと信じて、他の宗教を下に置いて、高みに立った観点から世界を見渡している。
でもそれらのあり方さえも、ぼくたちから言わせてもらえば"ドングリの背比べ"で、どこの宗教が正しくてどの宗教が正しくないとはいえない。
なぜならば、違いを認め、尊重し合えない価値観の持ち主の霊位というのは、ことごとくが幽界の波動圏にとどまった意識にあるからだよ。
要は、違いを認め合えないその認識が次元の壁になってしまってて、想いが物理的認識の範疇内にとどまって、お互いを上だとか下だとか、右だとか左だとかの三次元空間に置いて、それぞれが比べ合いをし、その結果に一喜一憂する想念習慣のなかを堂々めぐりしてしまってるんだ。
そこで、『意識の進化』が必要になってくるんだけど、ぼくたちがこの話の冒頭で話した『人の進化』については、直前にあげた例のような上下・左右・斜めなどの位置付け評価が適用出来ない。
どうしてかというと、そこには次元の奥行きの観点が欠落していて、地球上の多くの人たちが持つ物理的な発想では、その真価を公正に観ることが出来ないからだよ。
意識進化の地平というのは、三次元的な上下・左右・斜めなどの空間認識に、次元の奥行きを加えることで正しく俯瞰できる性質のものなんだ。
さっき「同時存在」という言葉を使ったけれど、肉体人間が認識し得る同時存在というのは、あくまで眼に見える世界に限った話でしかなく、次元の奥行きにも無数の天地が存在していて、膨大な数の人類がそれぞれの天地に生きているという事実までは認識し得ないでいる。
だけど、それこそが客観的に観た宇宙の事実、真実なんだよ。(次回に続く)