★真実の生命意識を見極め、光そのものの意識として生きるために
究極の真実を言えば、 自分が自分だと思い込んでいる"肉体性の個我想念"を手放すことができなければ、神性の本質をその身に顕すことが叶わないものなんだよ。
それは、どんな人であろうとも例外なくね。
いつも思うことなんだけど、こういう逆説的な話のときには、真反対の意味を自分で言葉にしてみてほしい。
「自分が自分だと思い込んでいた感情想念は本当の自分ではないのだから、それらの想いを手放しさえすれば、本来性の神性が表面化して顕れてくる」というようにね。
ぼくらは今、きみたちが志向する意識進化の道のハードルを引き上げて、あえて絶望を誘発しかねない厳しい物言いをした。
さあ、ここで問題だよ。
最初の話を糧にして、きみが地上の肉体心身に神性をホントに復活させて顕すために、今本気で取り組むべきことはなんだと思う?
うん、わかったみたいだね。
それは多くの地球人類が共通して抱えている喫緊の課題でもある。
冒頭の言葉に触れて、もしも認識が共鳴したなら、その人はすでに神域の意識で肉体のある世界を見つめられているといえる。
逆に、もしもカルマ性の想念がムクムクと頭をもたげて、湧きあがってきた場合には、きみをその心境に縛りつけている真の要因が今表面化しているということで、それらの想念習慣を浄め昇華する最大のチャンスを手にしているんだよ。
彼らは真理の側に立とうとするきみに対して今、徹底抗戦するように抵抗して来るでしょ。
それらの想いの動きを、どうしてやろうとかこうしてやろうとか、なんにも批判したり、評価したり、対抗したりしないで、ノージャッジの心でただただ抱きしめてごらん。
そう、生命の根源から発する無償の愛でもって、無条件に包み込むんだ。
けっして彼らの蠢きや甘言に反応して、白旗を揚げてはいけないよ。
彼らは今、きみがいのちの元へ還元しようとしている、その正しい意識の動きを元の木阿弥にしょうとしている。(次回に続く)