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Voice of brothers 380 意識の意識的な運用の重要性について

★先ずは生命運用の中級クラスを目指そう

一般的な人間というのは、ある程度の年齢になったなら、他人の言動行為に感情が左右されるような生命運用初級クラス(境地)を卒業して、自分自身が他人の言動行為に対して何を思っているかを冷静な心でつぶさに観察できる生命運用中級クラス(心境)に進級できるように、常日頃の意識の用い方を意識的に運用することだよ。

多くの人が陥っているのは、なんとなーく生きちゃってるもんだから、お腹が空けば食べ物にありつく、性欲が湧けば衝動のままに行動する、眠くなったら寝るといった本能的なことを根本にして、そのうえに肉体に張り付いた感情想念の蠢きのままに、怒ったり喜んだり、悲しんだり楽しんだり、妬んだり自慢したり、高慢になったりペシャンコになったりしてるんだ。

そういう意識状態にあるとき人は、生命の本質である神性から大きくかけ離れちゃってるもんだから、他人の言動行為にいちいち左右されては、感情想念をジェットコースターのように上げ下げしてるんだね。

そういう状態のことを、「生命の権能を他に明け渡している」っていうんだよ。

大切なことは、自分がどう思うか、どう思ったかであって、他人がどうしたこうしたなんてのは、なんら一切、心の行方を左右してないんだ、ホントはね。

★生命運用の上級クラスへ行くには

これがわかれば、幽界や霊界の下位や中位を飛び級して、一気に神界の手前であるところの霊界の上位に、意識境涯が住むことになるんだよ。

そうなるとこれは、始めに話した生命運用の例でいえば上級クラスに進級することになって、大いに意識視野が広がることになる。

それで、そこまで(生命運用の上級クラスまで)行った人に残る課題は、思い込みやこだわりといった、自分が気付かなくちゃ直らない『型の残骸』をキレイにクリーニングすることだよ。

肉体に張り付いて生きていた時代の名残なんだけど、多くの肉体人間には、「こうあらねばならない」とか、「どうあるべきだ」って種類の想いのカセが心に深くこびり付いていて、無礙自在な神性意識の発露をぬかりなく邪魔してるんだな。

実際の霊界上位の世界にも、そういう人はたくさんいて、みずからの思い込みやこだわりの牢獄に自分を閉じ込めて、意識を自由に運用出来ないでいる人が多くいるんだよ。

それは、仙人とか行者の類の人たちなんだけど、自分の型にはまってしまって、『型より入りて型よりづる』が出来ないでいるんだ。

そういう人たちを観ると、肉体に生きる人間であれ、霊界上位以下に生きる霊人であれ、「あの方たちの心境が一日も早く把われから解放されますように」って祈るしかない。

本人が気付かなきゃ、周りがどんなお膳立てをしてあげたって、その人はそこからステップアップすることが出来ないんだからね。